豊公築所聚楽城之図 聚楽第
「豊公築所聚楽城之図」(聚楽教育会蔵/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

聚楽第

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聚楽第 じゅらくてい 豊臣秀吉が関白の政庁·公邸として築いた城郭。1586年2月本丸の北東隅を平安京大内裏の北東隅に合わせて築城を始めた。12月に秀吉は太政大臣になり、豊臣姓を賜る。1587年9月正式に聚楽第に移り、翌年4月後陽成天皇の行幸を迎え、天皇の面前で諸大名に秀吉への忠誠を誓わせ、豊臣政権の確立を天下に宣言した。1591年関白の地位と聚楽第を甥の秀次に譲ったが、実子秀頼が誕生すると両者の対立が表面化し、謀反の疑いで秀次が切腹させられると、聚楽第は秀吉の命によって破壊され、御殿などは伏見城に運ばれた。

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