英蘭戦争
第2次英蘭戦争中の1666年6月11日から14日にかけて海戦が行われた(エイブラハム・ストーク画)

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英蘭戦争 (Anglo-Dutch Wars) A.D.1652〜1674

3回にわたりおこなわれた、イギリスとオランダの戦い。第1次(1652〜54)、第2次(1665〜67)、第3次戦争(1672〜74)とあり、第1次は航海法に対抗して起こされた。全般的にイギリスが優勢で、以後、衰退したオランダにかわりイギリスが海上権を握った。

英蘭戦争

  • 3回にわたりおこなわれた、イギリスとオランダの戦い。第1次(1652〜54)、第2次(1665〜67)、第3次戦争(1672〜74)とあり、第1次は航海法に対抗して起こされた。全般的にイギリスが優勢で、以後、衰退したオランダにかわりイギリスが海上権を握った。
  • イギリス・オランダ間で勃発した3回にわたる戦争。第1次(1652〜54)はイギリスの航海法制定を機に、第2次(1665〜67)はイギリスの航海法更新や北アメリカ・アフリカ進出を背景におこり、植民地を巡り争った。第3次戦争(1672〜74) もイギリス優勢に進み、最終的にイギリスに海上派遣が移る契機となった。
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  • 第1次戦争(1652〜54) イギリスの航海法に対するオランダの反発が原因
  • 第2次戦争(1665〜67) イギリスによるオランダ領アメリカ植民地侵略で始まる
  • 第3次戦争(1672〜74) フランスのルイ14世のオランダ侵攻にチャールズ2世が加担したが、財政難からウェストミンスター条約でイギリスが戦線を離脱。

3度の戦争を通じてオランダは後退し、英仏対抗の時代に入る。

ヨーロッパ主権国家体制の展開

イギリス立憲政治の発達

ピューリタン(清教徒)革命

オリバー・クロムウェルの率いる独立派は、まずより急進的な平等派と組んで、スコットランドやロンドンの大商人に支持者の多かった穏健な長老派を追放し、ついで1649年には、リルバーン(1614〜1657)をリーダーとした平等派をも抑えて、独裁権を確立した。権力を確立したクロムウェルは、貴族院を廃止して庶民院のみとし、アイルランドを征服したほか、1651年には航海法(航海条例)を施行してオランダの中継貿易を排除しようとした。このためにおこった第1次イギリス・オランダ戦争(英蘭戦争 1652〜1654)に勝利すると、1653年終身の護国卿となり、軍事独裁をおこなった。劇場を封鎖し、ほとんどの娯楽を禁じるなど、厳格なピューリタニズムにもとづくクロムウェルの独裁政治は、民衆の反感をかい、王政復古につながった。

航海法

イギリス重商主義政策の根幹をなした政策で、直接的には、オランダに対抗してイギリス海運業の利益を守ることを目的としたが、結果として、貿易業や製造業をも保護することになった。

1651年法では、イギリスと植民地の貿易を基本的にイギリス船に限定することを規定し、1660年法は、植民地が砂糖・タバコ・藍など植民地の特産物をイギリス以外の国に直接輸出することを禁止した。さらに、1663年法では、植民地の輸入をもイギリス船に限定した。他方では、これらの政策は植民地人の不満のもとにもなった。

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