荀彧 (A.D.163〜A.D.212) 荀彧は、はじめ袁紹に迎えられていたが、早々に見限り、曹操の股肱となる。「わしの子房(張良の字)」といわれるほど信頼され、曹操の遠征時には本拠地の留守を任されるまでとなった。才はすぐれ、進言は常に適切、推薦した人材も有能な者ばかりだった。しかし、献帝(漢)への忠節を捨てなかったことから、曹操の魏公就任に反対。しまいには曹操に疎まれるようになり、自殺をはかったという。
荀彧
はじめ袁紹に迎えられていたが、早々に見限り、曹操の股肱となる。「わしの子房(張良の字)」といわれるほど信頼され、曹操の遠征時には本拠地の留守を任されるまでとなった。才はすぐれ、進言は常に適切、推薦した人材も有能な者ばかりだった。しかし、献帝(漢)への忠節を捨てなかったことから、曹操の魏公就任に反対。しまいには曹操に疎まれるようになり、自殺をはかったという。「王佐(王の補佐)の才」と称され、曹操の参謀を担い敏腕を発揮した。
参考
荀彧が登場する作品
三国志 Three Kingdoms
