角倉了以
角倉了以像(亀山公園/WIKIMEDIA COMMONS

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角倉了以 すみのくらりょうい( A.D.1554〜A.D.1614)

京の豪商、貿易商。京の商人の家に生まれる。徳川家康の命で安南(ベトナム)に朱印船を派遣し海外貿易を手がける一方で、河川開削工事を全国で実施する。1606年に大堰川(桂川)を改修して舟運を開いたほか、高瀬川を開削し、京と伏見を結んだ。

角倉了以

京の豪商、貿易商。京の商人の家に生まれる。徳川家康の命で安南(ベトナム)に朱印船を派遣し海外貿易を手がける一方で、河川開削工事を全国で実施する。1606年に大堰川おおいがわ(桂川)を改修して舟運を開いたほか、高瀬川を開削し、京と伏見を結んだ。

参考 ビジュアル版 日本史1000人 下巻

幕藩体制の確立

幕藩体制の成立

初期の外交
朱印船貿易地図
朱印船貿易地図 ©世界の歴史まっぷ

日本人の海外進出は豊臣政権下に続いて盛んで、ルソン・東京トンキン・アンナン・カンボジア・シャムなどに渡航する商人らの船は多かった。幕府は海外渡航許可の朱印状を与えたのでこの船を朱印船という。朱印状は1604(慶長9)年から1635(寛永12)年までに350通余りが発行された。朱印船を出して貿易利益をあげた者としては、105名の名前がわかっており、大名では島津家久(1576〜1638)・松浦鎮信まつうらしげのぶ(1549〜1614)・有馬晴信らがおり、商人では長崎の末次平蔵すえつぐへいぞう(?〜1630?)・摂津の末吉孫左衛門(1588〜1639)・京都の角倉了以すみのくらりょうい(1554〜1614)や茶屋四郎次郎、堺の納屋助左衛門(生没年不詳)・松坂の角屋七郎兵衛(1610〜72)らがいた。これら日本人の朱印船貿易は、オランダ船・明船をしのぎ、ポルトガル船に匹敵するほど盛んな時期もあった。また、輸出には銀・銅・鉄・樟脳しょうのうなどがあてられたが、とくに銀の輸出額は世界の銀産出額の3分の1に及んだ。

幕藩体制の展開

経済の発展

交通の整備

東北・北陸地方の諸藩は蔵米くらまいを江戸や大坂に運ぶため、直航路を開くことを望んでいた。寛文年間、河村瑞賢かわむらずいけん(1618〜99)の努力によって秋田から津軽海峡を経て太平洋側にでて江戸にいたる東廻り海運と、日本海沿岸をまわって赤間関あかまぜき(下関)を経て瀬戸内海から大坂にいたる西廻り海運とが整備された。西廻り海運には北前船が活躍したが、後期になると、北前船は買積み方式で蝦夷地にも進出して、積極的な商取引を行った。河村瑞賢はまた、貞享年間(1684〜88)ころ安治川を開き、伏見から淀川を下って大坂にいたる舟運しゅううんを便利にさせた。このような河川舟運は、慶長のころ、京都の商人角倉了以すみのくらりょうい(1554〜1614)が富士川・天竜川や保津川・高瀬川を整備したのに始まり、河村瑞賢以降も各地方の河川は整備され、内陸地方の交通と物資輸送が便利になった。

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