革命の胎動 辛亥革命 辛亥革命と外国資本の進出地図
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辛亥革命 しんがいかくめい(A.D.1911〜A.D.1912)

清朝を倒し、中華民国を樹立した革命。幹線鉄道国有化問題での弾圧で立憲派も清朝から離反するなか、1911年(辛亥の年)の武昌蜂起が発端となり、革命は華中・華北に波及し、14省が独立を宣言した。12年1月、孫文を臨時大総統とする中華民国の建国が宣言され、2月、袁世凱の活動により清朝皇帝が退位した。成立した民国(共和国)で3月、臨時大総統についた袁世凱の下、臨時約法(憲法)が発布された。

辛亥革命

清朝を倒し、中華民国を樹立した革命。幹線鉄道国有化問題での弾圧で立憲派も清朝から離反するなか、1911年(辛亥の年)10月10日の武昌蜂起が発端となり、革命は華中・華北に波及し、14省が独立を宣言した。12年1月、孫文を臨時大総統とする中華民国の建国が宣言され、2月、袁世凱の活動により清朝皇帝が退位した。成立した民国(共和国)で3月、臨時大総統についた袁世凱の下、臨時約法(憲法)が発布された。

参考 世界史用語集

帝国主義とアジアの民族運動

アジア諸国の改革と民族運動

辛亥革命

1911年5月、清朝政府は英・米・独・仏の四国借款団しこくしゃっかんだんから借款をうける担保とするため、民営鉄道の国有化を宣言した(幹線鉄道国有化)。このことは、外国から利権を回収して民営の鉄道建設を進めようとしていた民族資本家や地方有力者を憤激させ、とくに四川保路しせんほろ同志会を結成して激しい国有化反対運動を展開していた四川省では、9月、暴動が発生するにいたった(四川暴動)。こうした情勢下に10月10日、革命派の影響力の強かった湖北こほく武昌ぶしょうの新軍が武装蜂起をおこし、新軍の指揮官黎元洪れいげんこう(1864〜1928)を都督(省の軍・民政の長官)に推戴して、清朝からの独立を宣言した(武昌起義ぶしょうきぎ)。これが辛亥革命の始まりである。武昌起義に始まる革命の火は、たちまち中国全土に波及し、11月末までに24の省のうち14省が清朝からの独立を宣言した。12月、南京に集まった革命派と独立各省の代表は、孫文を臨時大総統に選出し、1912年1月1日、中華民国の建国を宣言して、南京に臨時政府を発足させた 。ここにアジアにおける最初の共和国が誕生した。

辛亥革命と外国資本の進出地図
辛亥革命と外国資本の進出地図 ©世界の歴史まっぷ

革命の勃発に対し、清朝側は最強の北洋新軍を手兵として握っていた実力者袁世凱えんせいがいを内閣総理大臣に任命し、軍・政の全権を委任して革命鎮圧に期待をかけた。しかし、ひそかに清朝にかわる中国の支配者となる野心を抱いていた袁は、かえって革命派との取り引きに乗りだし、革命派との間に、清帝の退位、共和政の実現とひきかえに、袁が臨時大総統に就任するという協定を成立させた。この結果、1912年2月、清朝最後の宣統帝せんとうてい溥儀ふぎ 位1908〜12)は退位を迫られ、ここに清朝の支配(および秦の始皇帝以来の中国の王朝支配体制)は終わりを告げた。武昌起義以来、ここまでの過程を一般に第一次革命と呼ぶ。

同時に1912年をもって「民国元年」とし、陰暦のかわりに太陽暦を使用することが決定された。なお10月10日は「双十節そうじゅうせつ」として中華民国の建国記念日とされた。

参考

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62.アジア諸国の改革と民族運動

62.アジア諸国の改革と民族運動流れ図
62.アジア諸国の改革と民族運動流れ図 ©世界の歴史まっぷ

辛亥革命と中華民国の成立

清朝では民族資本家が成長し、外国資本に対し利権回収運動を進めていった。海外においては、華僑や留学生を中心に革命運動が盛んになっていた。孫文は、1905年、日本の東京で中国同盟会を結成し、「民族・民権・民生」という三民主義を思想的支えとして、革命運動を行なった。1911年、身長が外国借款による幹線鉄道の国有化政策を打ち出すと、10月に武昌ぶしょうで軍隊が革命の口火をきり、各省に波及した。これを辛亥革命という。翌12年、革命派は孫文を臨時大総統に選出し、南京で中華民国の建国を宣言した。しかし北洋軍の実力者袁世凱は革命派の力不足をみて、宣統帝溥儀ふぎ)の退位を条件に、臨時大総統の地位を譲り受ける密約を革命派に認めさせた。ここに清朝は滅亡した。

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