アブド・アッラフマーン3世(
A.D.889〜A.D.961)
後ウマイヤ朝第8代アミール(912〜929)、初代カリフ(在位929〜961)。後ウマイヤ朝の最盛期を現出。コルドバは人口50万を擁する大都市に発展した。アブド・アッラフマーン3世は、イベリア半島に加えてマグリブ(エジプト以西の北アフリカ)西部の大半を支配下に収め、さらにアッバース朝に対抗してみずからカリフの称号を用いた。
アブド・アッラフマーン3世
後ウマイヤ朝の最盛期を築く
後ウマイヤ朝の第8代アミール(総督)。当初は各地の反乱に悩まされたが、928年にはイベリア半島の主要部をほぼ征圧。北アフリカのファーティマ朝に対抗すべく、カリフを名乗る。コルドバの発展は最高潮に達し、人口は50万を数えたと言う。
参考 ビジュアル版 日本史1000人 上巻 -古代国家の誕生から秀吉の天下統一まで
後ウマイヤ朝を発展させる
ウマイヤ朝を追われた一族がイベリア半島に建てた「後ウマイヤ朝」8代君主。文化発展に尽力し最盛期を築く。
ファーティマ朝君主がカリフを名乗ったのに対抗し、自らもカリフを名乗った。
イスラーム世界の形成と発展
イスラーム帝国の成立
アッバース朝の建国後、ウマイヤ家のアブド・アッラフマーン1世は北アフリカに逃れ、756年にはイベリア半島に渡って後ウマイヤ朝を開いた。彼はコルドバに首都を定め、ベルベル人の反乱を抑えて政権の基礎を固めた。
後ウマイヤ朝は、政治的にはアッバース朝と敵対関係にあったが、学者たちはバグダードやダマスクスに赴いて東方イスラーム世界の文化を積極的に吸収し、その成果をイベリア半島に持ち帰った。
王朝はアブド・アッラフマーン3世(912〜961)の時代に最盛期を迎え、コルドバは人口50万を擁する大都市に発展した。アブド・アッラフマーン3世は、イベリア半島に加えてマグリブ(エジプト以西の北アフリカ)西部の大半を支配下に収め、さらにアッバース朝に対抗してみずからカリフの称号を用いた。