アーグラ城塞
インド北部、アーグラにあるムガル帝国時代の城塞。16世紀の第3代アクバル帝に始まるが、大部分の建築物は第5代シャー・ジャハーン帝時代の造営。ジャーハンギール殿(アクバル帝時代)、「赤い城」の名の由来となる赤砂岩造りの二重の城壁と門、シャー・ジャハーンの宮廷建築群など華麗なムガル朝建築芸術が栄えたが、17世紀のデリー遷都、その後の反乱や略奪、英軍の駐留などでその栄華は衰えた。世界遺産。
アーグラ城塞
歴史
インドのデリーからアーグラへの遷都にともない、第3代皇帝アクバルが1565年に着工して1573年に完成した。その後第4代ジャハーンギール、第5代シャー・ジャハーンまで3代の居城となった。
第6代アウラングゼーブが兄弟間の後継者争いに勝つと、父であるシャー・ジャハーンをタージ・マハルの見える城塞内の「囚われの塔」(ムサンマン・ブルジ)に幽閉してデリーに遷都した。
外側から見ると赤砂岩主体の「赤い城」であるが、城内の宮殿には白大理石も多用されている。ムサンマン・ブルジュの内壁や床は幾何学的な装飾が施された白大理石でできている。
1983年にユネスコの世界遺産に登録された。
ギャラリー
ディワーニ・アーム(公謁殿)は、シャー・ジャハーン帝によって、木造から大理石造りに建て替えられた。