ウィレム1世(オラニエ公) (沈黙公)(
A.D.1533〜A.D.1584)
オランダ独立戦争の最高指導者。ドイツのナッサウ伯家に生まれ、従兄の死によりネーデルラントの所領と南仏のオラニエ公国を相続。スペインによる専制政治に反対し、抵抗運動を起こす。戦いを重ねるなか、北部諸州で信望を集め、オランダ独立国家(ネーデルラント連邦共和国)の事実上の初代君主となる。
ウィレム1世(オラニエ公)
八十年戦争を指揮した名門貴族
オランダ独立戦争の最高指導者。ドイツのナッサウ伯家に生まれ、従兄の死によりネーデルラントの所領と南仏のオラニエ公国を相続。スペインによる専制政治に反対し、抵抗運動を起こす。戦いを重ねるなか、北部諸州で信望を集め、オランダ独立国家(ネーデルラント連邦共和国)の事実上の初代君主となる。
従兄ルネ・ド・シャロンの死によりネーデルラントの所領と南フランスのオラニエ公国を相続してウィレム1世(オラニエ公)となった以後、ウィレムの家系はオラニエ=ナッサウ家と呼ばれる。
ヨーロッパ主権国家体制の展開
ヨーロッパ主権国家体制の形成
覇権国家オランダ
スペイン領となったネーネルランドでは、16世紀初めからアントウェルペン(アントワープ)市が、ヨーロッパの中心市場として急激に勃興した。周辺では毛織物工業も繁栄していた。宗教的にはカルヴァン派が勢力をえていたが、フェリペ2世(スペイン王)はこの地にもカトリックの信仰を強制し、異端審問を行なった。これに抗議した農村の中小貴族は、「乞食党(ゴイセン)」とあだ名される集団を結成した(1566)。これに対してフェリペ2世は、アルバ公を派遣して恐怖政治(ベルギーやオランダでは、「スペイン人の狂暴」という)を展開した。商工業の中心であったフランドル・ブラバント両州からは、1万人以上の商工業者が北部ネーデルラントやヨーロッパ各地に亡命した。
ネーデルラントに残った人々は1568年、信望の厚いウィレム1世(オラニエ公)(沈黙公 1533〜1584)を指導者として、独立運動を展開した。「乞食党」を中心に抵抗を続けた各州は、1576年「ガンの和平」でいったんはスペイン軍の撤退を約束させることに成功した。しかしその後も戦争は続き、スペイン軍に占領された南部の10州は途中で脱落して、親スペインのアラス同盟を結成した。このため、残った北部7州はユトレヒト同盟を結成(1579)、1581年にいたってネーデルラント連邦共和国(オランダ)の独立を宣言した。この間、かねてスペインと対立していたイギリスは、独立派に支援した。1609年には独立派とスペインの休戦が成立、三十年戦争後のウェストファリア条約によって国際的にも独立が承認された。