カール4世(神聖ローマ皇帝) A.D.1316〜A.D.1378
神聖ローマ帝国ルクセンブルク朝神聖ローマ皇帝(在位1355年 - 1378年11月29日)。
金印勅書を発布し、皇帝継承を選帝侯によるとし、大空位時代の政治的混乱を打開。イタリア干渉をやめ、領土拡大。アヴィニョンに幽囚中だった教皇のローマ帰還を実現。プラハ大学の創設。
- 神聖ローマ皇帝(在位:1355年〜1378年)
- ボヘミア(ベーメン)王カレル1世 (在位:1346年~1378年)
- モラヴィア辺境伯(在位:1334年〜1349年)
- ルクセンブルク伯(在位:1346年〜1353年)
カール4世(神聖ローマ皇帝)
ヨーロッパ世界の形成と発展
西ヨーロッパ中世世界の変容
ドイツの分裂
13世紀を通じて、国王選挙の制度と選帝侯の地位、権限などが固定していった。1356年、ルクセンブルク朝のカール4世(神聖ローマ皇帝)は金印勅書(黄金文書)を発布し、7人の選帝侯と国王選挙の手続きを確認した。また付帯条項の中で、選帝侯は至高権・完全な裁判権・貨幣鋳造権・関税徴収権などの特権を認められ、事実上近代国家に等しい支配権を獲得することになった。その後、他の諸侯もこれにならおうと務め、西ヨーロッパ諸国が中央集権化しつつある中で、ドイツは逆に各両方国家の独立傾向が強まった。15世紀前半のアルプレヒト2世(神聖ローマ皇帝)以降、オーストリアのハプスブルク家が皇帝位を独占する(1438〜1806)ようになるが、それはもはや神聖ローマ帝国でもドイツ帝国でもなく、ハプスブルク家の帝国というにふさわしいものであった。
家族
- 祖父: ハインリヒ7世(神聖ローマ皇帝)
- 父: ヨハン・フォン・ルクセンブルク(ボヘミア王)(ルクセンブルク伯)
- 母: エリシュカ・プシェミスロヴナ – ヴァーツラフ3世(ボヘミア王)(ポーランド王)(ハンガリー王)(プシェミスル家最後のボヘミア王)の妹。
- 妻1: ブランシュ・ド・ヴァロワ – シャルル(ヴァロワ伯)の娘。フィリップ6世(フランス王)の異母妹。
- 子: マルガレーテ・フォン・ルクセンブルク(ハンガリー王妃) – ラヨシュ1世(ハンガリー王)(ポーランド王)と結婚
- 子: カタリーナ – ルドルフ4世(オーストリア公)、死別後ブランデンブルク選帝侯オットー5世(バイエルン公)と再婚。
- 妻2: アンナ・シフィドニツカ – ルドルフ2世(ライン宮中伯)の娘。
- 子: ヴェンツェル – 夭折
- 妻3: アンナ・シフィドニツカ – ヘンリク2世(シフィドにツァ公)の娘。
- 子: エリーザベト・フォン・ベーメン – アルブレヒト3世(オーストリア公)(ルドルフ4世(オーストリア公)の弟)と結婚。
- 子: ヴェンツェル(神聖ローマ皇帝) – 神聖ローマ皇帝・ボヘミア王・ブランデンブルク選帝侯・ルクセンブルク公
- 妻4: エリーザベト・フォン・ポンメルン – ボギスラフ5世(ポメラニア公)とポーランド王女エルジュビェタ(カジミェシュ3世(ポーランド王)の子)の娘。
- 子: アン・オブ・ボヘミア – リチャード2世(イングランド王)と結婚。
- 子: ジギスムント(神聖ローマ皇帝)– 神聖ローマ皇帝・ルクセンブルク公・ブランデンブルク選帝侯・ボヘミア王・ハンガリー王
- 子: ヨハン – ゲルリッツ公。ルクセンブルク公女エリーザベト・フォン・ゲルリッツの父
- 子: カール – 夭折
- 子: マルガレーテ – ヨハン3世(ニュルンベルク城伯)と結婚
- 子: ハインリヒ – 夭折