ガリア戦争 (紀元前58年〜紀元前51年)
共和政ローマのガリア地区総督ガイウス・ユリウス・カエサルがガリア(現:フランス、ベルギー、スイス等)に遠征してその全域を征服し、共和政ローマの属州とした一連の戦争を指す。アレシアの戦いに勝ってウェルキンゲトリクスを捕え、ガリア全土のローマ属州化と平和をもたらし、比較的人員の損失も少く多くの富を獲得したカエサルの政治力強大化につながった。
ガリア戦争
戦争データ
年月日:紀元前58年〜紀元前51年 | |
場所:ガリア地方(現在のフランス、ベルギーおよびオランダ、ドイツ、スイスの一部) | |
結果:ローマ軍の勝利 ガリアのローマ属州化 ゲルマン民族の脅威軽減 |
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交戦勢力 | |
共和政ローマ | ガリア人 ゲルマニア人 |
指導者 | |
ユリウス・カエサル ティトゥス・ラビエヌス プブリウス・クラッスス デキムス・ブルトゥス 他 |
アリオウィストゥス アンビオリクス ウェルキンゲトリクス コンミウス |
野心家のユリウス・カエサルは、まだ誰も征服していない土地を配下におさめようと、ガリアに遠征に赴いた。8年におよぶ大遠征の最後を飾る決戦が、アレンシアの戦いだった。最後に残った手強い相手が、アルウェルニ族の若き首領ウェルキンゲトリクス。部族連合軍を率いてローマ軍に抵抗し続け、丘の上の町アレシアに堅固な要塞を築いた。
これに対しカエサルは完全封鎖作戦をとり、全長15キロの包囲防御線を構築。二重、三重の壕で取り巻き、手前に障害物や罠を仕掛け、その外側に壁と櫓で固めた陣営をしいた。さらに援軍阻止のため、背後にも同様の砦を築く。この難攻不落の封鎖網が8万の籠城軍と26万の救援軍を分断させ、ガリア軍は内部崩壊。ウェルキンゲトリクスは降伏する。カエサルの優れた戦術と高度な土木技術、そして彼に忠実な軍団の組織力が勝利をもたらしたのだ。あまたの戦利品や富を携え、カエサルは華々しくローマに凱旋した。
アレシア包囲戦
総決起した34万とも伝えられるガリアの連合軍に対し、わずか5万のローマ軍が打ち勝ったのは、強固な包囲陣を築いたカエサルの戦術にあった。降伏した敵将ウェルキンゲトリクスは5年間投獄された後、紀元前46年、カエサル凱旋式の日に処刑された。