コントラート3世(神聖ローマ皇帝)
A.D.1093〜A.D.1512
神聖ローマ帝国ホーエンシュタウフェン朝初代君主(ローマ王(ドイツ王))。在位: 1138年〜1152年。
- 父: フリードリヒ1世(シュヴァーベン大公)
- 母: ザーリアー朝ハインリヒ4世(神聖ローマ皇帝)の長女アグネス・フォン・ヴァイプリンゲン
- 兄: フリードリヒ2世(シュヴァーベン大公)
- 異母弟: オーストリア辺境伯兼ハインリヒ2世(バイエルン公)、レオポルト4世(バイエルン公)
コントラート3世(神聖ローマ皇帝)
生涯
- 1125年 ザクセン公ロタールがローマ王(ドイツの王)ロタール3世に選出されるとこれを認めず、兄と共に反乱を起こす。
- 1127年 対立王に選出される。
- 1135年 和睦、王位を放棄。
- 1137年 ロタール3世(神聖ローマ皇帝)死去。
- 1138年 ロタール3世(神聖ローマ皇帝)に継嗣が無かったため、選帝侯らによる次期皇帝選出選挙。
ロタール3世は後継者に婿のヴェルフ家のハインリヒ10世(バイエルン公)(兼ザクセン公)を望んでいたが、強力な皇帝の出現を望んでいなかった選帝侯らは、当時は弱小勢力に過ぎなかったホーエンシュタウフェン家のコンラート3世を選出した。
コンラート3世(神聖ローマ皇帝)が即位すると、ハインリヒ10世(バイエルン公)(兼ザクセン公)の強大化を恐れて捕縛し、公位を没収してザクセンをバレンシュテット伯アルブレヒト熊公(アルブレヒト1世(ブランデンブルク辺境伯))、バイエルンを異父弟のレオポルト4世(オーストリア辺境伯)に与えたため、コンラート3世はローマ教皇から戴冠を受けられず、正式な皇帝に即位することなく終わた。 - 1147年 エウゲニウス3世(ローマ教皇)の呼びかけに応じて第2回十字軍に参加。ダマスカスを包囲したが、イスラム軍との戦いに敗れて撤退。
- ハインリヒ10世(バイエルン公)の子・ハインリヒ獅子公(ハイリンヒ3世(ゼクセン公))と皇帝の地位をめぐって争うなど、その治世は多難を極めた。しかしコンラート3世(神聖ローマ皇帝)は皇帝権力の強化、ホーエンシュタウフェン家の領土拡大に成功を収め、巧みな外交戦略をもってドイツ諸侯と提携を図った。
- 1152年 病に倒れて死を悟ったコンラート3世は、甥のフリードリヒ1世(バルバロッサ)を後継者として指名して世を去った。
子女
- ハインリヒ5世(1137年〜1150年):ローマ王(在位:1147年〜1150年)
- フリードリヒ4世(1145年〜1167年):シュヴァーベン大公、ローテンブルク公(在位:1152年〜1167年)、ハインリヒ獅子公の娘ゲルトルートと結婚
参考 Wikipedia