柔然 ササン朝 内陸アジアの新動向 エフタル 5世紀頃の内陸アジア地図
5世紀頃の内陸アジア地図 ©世界の歴史まっぷ

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内陸アジアの変遷

内陸アジアの変遷

内陸アジアの変遷
内陸アジア世界の変遷 ©世界の歴史まっぷ

遊牧民とオアシス民の活動

内陸アジアの新動向
突厥ははじめ柔然に服属していたが、優れた製鉄技術(アルタイ山脈は鉄鉱の産地であった)や「草原の道」の交易の利によって力を蓄え、木汗可汗ぼくかんかがんのとき柔然を滅ぼし(555)、ササン朝のホスロー1世と結んでエフタルを滅ぼして(567)、モンゴル高原からカスピ海にいたる大帝国を樹立した。以後、突厥およびこれにかわったウイグル回鶻かいこつ)と、内陸アジアの草原地帯はしばらくトルコ民族の制圧するところとなり、中国の強敵として隋、唐帝国(唐王朝)と交戦を重ねることになった。
突厥 6世紀末の内陸アジア地図 ササン朝
6世紀末の内陸アジア ©世界の歴史まっぷ
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