5世紀頃の内陸アジア地図 ©世界の歴史まっぷ ササン朝 時代・文化 公開日 2016-11-07 最終更新日 2023-08-26 アフガニスタン・イスラム共和国アゼルバイジャン共和国アルメニア共和国エジプト・アラブ共和国アラブ首長国連邦パキスタン・イスラム共和国ウズベキスタン共和国イラク共和国イラン・イスラム共和国ジョージアオマーン国タジキスタンカタール国トルクメニスタンクウェート国サウジアラビア王国トルコ共和国パレスチナバーレーン国 パルティア 正統カリフ Previous Postバクトリア Next Postスパルタ 内陸アジアの変遷内陸アジアの変遷 内陸アジア世界の変遷 ©世界の歴史まっぷ 遊牧民とオアシス民の活動 内陸アジアの新動向 突厥ははじめ柔然に服属していたが、優れた製鉄技術(アルタイ山脈は鉄鉱の産地であった)や「草原の道」の交易の利によって力を蓄え、木汗可汗ぼくかんかがんのとき柔然を滅ぼし(555)、ササン朝のホスロー1世と結んでエフタルを滅ぼして(567)、モンゴル高原からカスピ海にいたる大帝国を樹立した。以後、突厥およびこれにかわったウイグル(回鶻かいこつ)と、内陸アジアの草原地帯はしばらくトルコ民族の制圧するところとなり、中国の強敵として隋、唐帝国(唐王朝)と交戦を重ねることになった。 6世紀末の内陸アジア ©世界の歴史まっぷ 内陸アジアの新動向 – 世界の歴史まっぷ 1. オリエントと地中海世界2. アジア・アメリカの古代文明3. 内陸アジアの変遷4. ヨーロッパ世界の形成と発展5. 東アジア世界の形成と発展6. イスラーム世界の形成と発展7. 略年表8. 歴代君主関連記事 キリスト教ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ唐(王朝)オリエント世界の風土と民族突厥 1 2 3 4 5 6 7 8