東アジア世界の形成と発展
東アジア世界の形成と発展
東アジア文化圏の形成
隋唐の社会
東西貿易
唐は中央アジアにおいて、最初はササン朝、のちにウマイヤ朝やアッバース朝と領土を接したため、陸路による東西貿易が発達した。そしてソグディアナ地方出身のイラン系のソグド人が中継商人として活躍した。また海路からはアラビアなどのムスリム商人が来航し、その貿易の窓口となった広州には、彼らの居留地区(蕃坊)がつくられたほか、貿易管理局として市舶司が設置された。
唐代の文化
外来宗教
唐(王朝)文化の国際性を示すものに、「唐代三夷教」と呼ばれる祆教・景教・マニ教とイスラーム教の流入がある。祆教・景教・マニ教はいずれも西アジアのササン朝で信奉されていた。しかしササン朝の滅亡によって、新しい拠点を東方に求めねばならなかった。またイスラーム教は、ムスリム商人とともに伝わったものである。
ササン朝において、マニ(216〜276)がゾロアスター教をもとに、キリスト教・仏教などの諸要素を融合させて創始した宗教である。則天武后のころに伝来し、漢訳経典もつくられ、マニ教を信奉するウイグルとの友好関係を維持する目的もあって、唐では保護政策をとった。