ニコライ1世 Nikolai( A.D.1796〜A.D.1855)
ロマノフ朝第11代ロシア皇帝(在位1825〜55)。即位日にデカブリストの乱を鎮圧するなど、内政では強圧的な専制政治を強行しながら、工業化を一部振興した。外交ではギリシア独立戦争を援助する一方、ポーランドを抑圧し、1848年革命の際には「ヨーロッパの憲兵」としてふるまった。1853年にはクリミア戦争を開始した。
ニコライ1世
ロシア皇帝(位1825〜55)。即位日にデカブリストの乱を鎮圧するなど、内政では強圧的な専制政治を強行しながら、工業化を一部振興した。外交ではギリシア独立戦争を援助する一方、ポーランドを抑圧し、1848年革命の際には「ヨーロッパの憲兵」としてふるまった。1853年にはクリミア戦争を開始した。
欧米における近代国民国家の発展
ウィーン体制
ウィーン体制の動揺
ウィーン体制は、ナポレオンによって高揚されたナショナリズム運動や自由主義運動を抑圧するものであったため、各地で抵抗運動がおきた。ロシアでは反動的なニコライ1世 Nikolai I (位1825〜55)の即位に反対してデカブリスト Dekabrist による反乱がおきたが、短期間に鎮圧された(デカブリストの反乱)。1820年までのこうしたヨーロッパの自由主義・国民主義運動は、ことごとくウィーン体制のまえに屈服した。
世界史B
11. 欧米における近代国民国家の発展
49.東方問題とロシアの改革
変革を拒んだ冷徹な専制主義者
列強の東アジア進出にともない、プチャーチンを日本へ派遣。1855年に日露和親条約を締結した。