バビロニア (Babylonia)
メソポタミア(現在のイラク)南部を占める地域、またはそこに興ったアムル人が建てた王国(帝国)。首都はバビロン。紀元前1792年、ハンムラビが バビロニア帝国(メソポタミア統一)の初代王となる。
バビロニア
首都: バビロン
シュメールとアッカドを含み、北西にアッシリアと隣接する。
歴史
- バビロン第1王朝(古バビロニア)
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前1894年-前1595年
前19世紀初めにセム語系遊牧民のアムル人が建てた王国。バビロンを都とし、ハンムラビ王のとき全盛期を迎えた。前16世紀初め、ヒッタイトにより滅ぼされた。この王朝以降、シュメール・アッカドの両地域を合わせてバビロニアと呼ぶようになった。
- 海の国第1王朝(バビロン第2王朝)
- 初期カッシート王朝(バビロン第3王朝)
- カッシート王朝(バビロン第3王朝)
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前1475年頃-前1157
紀元前1475年頃、カッシート人が バビロニア を統一し、 バビロニア の歴史上最も長く続いた王朝であり、エジプト、ヒッタイト、ミタンニ等と並ぶ強国となる。
紀元前1400年期半ば以降、強大化したアッシリアとの関係が悪化し、東のエラムとも紛争が繰り返される。
紀元前1225年、カッシート王カシュティリアシュ4世はアッシリア王トゥクルティ・ニヌルタ1世に敗れてアッシリアに連れ去られ一時 バビロニア はアッシリアの支配下に入る。
紀元前1160年、ザババ・シュマ・イディナが即位するが、アッシリアに敗れ大きく領土を失う。
エラム王シュトルク・ナフンテの攻撃を受けてバビロンが陥落。バビロンに祀られていたマルドゥクの神像をはじめ、ハンムラビ法典等多くの財宝がスサに持ち去られた(この時持ち去られたハンムラビ法典碑が20世紀に入ってスサで発見される事になる。)。
紀元前1155年、バビロン第3王朝滅亡。 - イシン第2王朝(バビロン第4王朝)
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バビロニア の重要都市の一つとして存続していたアムル人国家であるイシン出身のマルドゥク・カビト・アヘシュがイシン第2王朝を成立させる。
ネブカドネザル1世の時代、エラムによって奪われていたバビロンの都市神マルドゥク神の神像をエラムから取り戻し、マルドゥク神祭祀を復活させる。
アッシリアの勢力が拡大し、圧迫され、第2王朝は混乱し、 バビロニア は分裂状態に陥る。 - 海の国第2王朝(バビロン第5王朝)
- 前1024年 – 前1004年
- バジ王朝(バビロン第6王朝)
- 前1003年 – 前984年
- エラム王朝(バビロン第7王朝)
- 前984年 – 前977年
- バビロンE王朝(バビロン第8王朝/バビロン第9王朝)
- バビロン第10王朝
- 新バビロニア