バロック Baroque
17世紀を中心にヨーロッパ各国で栄えた芸術様式。バロックということばは、「ゆがんだ真珠」とう意味のポルトガル語に由来する。その特徴には、激しい動態や強烈な明暗表現をとるダイナミックな様式、現実的な表現などがあげられる。
バロック
- バロック美術:17世紀から18世紀初めまで西洋で栄えた美術・建築様式。「ゆがんだ真珠」の意とされ、ルネサンスの調和・均整の重視に対して、光と影のコントラストの重視や豊満な肢体の描写など、躍動的で劇的な表現を特徴とする。
- バロック音楽:16世紀後半〜18世紀のヨーロッパ音楽様式の呼称。ルネサンスの調和重視に対し情念や不均衡を取り入れた豪華で華麗な様式が特徴で、宮廷や市民の生活を彩った。
バロック様式
17世紀を中心にヨーロッパ各国で栄えた芸術様式。バロックということばは、「ゆがんだ真珠」とう意味のポルトガル語に由来する。その特徴には、激しい動態や強烈な明暗表現をとるダイナミックな様式、現実的な表現などがあげられる。
天井が描かれた唯一の絵画ともいわれ、スペインの宮廷画家ディエゴ・ベラスケスが王女マルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャを中心とする宮廷人の集団肖像画を現実的装いの神話画として描いた作品。王女のまわりの侍女・女官・執事、さらに画家自身(左端)と鏡にうつった国王夫妻を描くことで、みる者を画中に取り込もうとしている。
対抗宗教改革の代表的な宗教家の自伝から、神秘的な宗教体験の瞬間を表現した。上からふりそそぐ光によって劇的に演出され、神の愛の矢に射抜かれるテレサの恍惚の表情は官能的で、この奇跡にたちあっているかのような臨場感を帯びている。
イタリアのトスカーナ大公フランチェスコ1世・デ・メディチの娘マリー・ド・メディシスがアンリ4世(フランス王)に嫁ぐため、マルセイユ港に上陸した史実を、神話のように壮大な演出で描いた。左上にメディチ家の紋章、左下には警護する海の神ネプチューンとトリトン、王妃の足下には到着を喜ぶ3人の海の精ネレイス。
エル・グレコとは「ギリシア人」の意。クレタ島出身の彼は、ヴェネツィアで学びローマでミケランジェロ・ブオナローティの芸術に接し、スペインのトレドで活躍した。人物の長身化と独特の空間表現、大胆な筆致を特徴とした、神秘主義的な宗教画を描いた。
16世紀末から17世紀初頭にかけて、イタリアのローマ、マントヴァ、ヴェネツィア、フィレンツェで誕生し、ヨーロッパの大部分へと急速に広まった美術・文化の様式のこと。
カトリック改革や、ヨーロッパ諸国の絶対王政を背景に、影響は彫刻、絵画、文学、建築、音楽などあらゆる芸術領域に及び、1.誇張された動き、2.凝った装飾の多用、3.強烈な光の対比のような劇的な効果、4.緊張、時として仰々しいまでの豊饒さや壮大さ、などによって特徴づけられる。18世紀後半には新古典主義へと移行した。
バロック絵画
絵画における「バロック」の意味を定義づけるものの1つはピーテル・パウル・ルーベンスがマリー・ド・メディシスのためにパリのリュクサンブール宮殿で制作した一連の絵(現在はルーヴル美術館蔵)であり、ここではカトリックの画家がカトリックのパトロンを要求を満足させている
――バロック時代の君主制、図像学、描画技法、構図、そして空間や動きの描写などの概念である。カラヴァッジオからコルトーナまで、イタリアのバロック絵画には大きく異なった流れがあるが、いずれも異なった様式で情動的なダイナミズムを追求している。
後期バロック様式は徐々により装飾的なロココへと入れ替わってゆき、バロックの定義はこのロココとの対比によってより明確となる。フランスでは君主制に仕える芸術と見做(みな)されることも多い古典主義美術もバロックと対比するものと見做(みな)される。
代表画家
- ネーデルラント(フランドル)
- ピーテル・パウル・ルーベンス
- ネーデルラント(オランダ)
- レンブラント・ファン・レイン
- ヨハネス・フェルメール
- スペイン
- ディエゴ・ベラスケス
- フランス
- ニコラ・プッサン(ローマで活躍)
- ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
- イタリア
- ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ
バロック彫刻
バロック彫刻では、人物の集合に新しい重要性が生じ、人間のフォルムによってダイナミックな動きとエネルギーがもたらされた
――人物は中心の渦巻を取り巻いて輪をなし、あるいは外を向き周辺の空間へと向かう。バロック彫刻になって初めて、彫刻は複数の理想的な視角を獲得した。隠された光源や噴水といった彫刻以外の補足的な要素を付け加えるのもバロック彫刻の特徴の1つである。
ベルニーニ (1598-1680) の建築、彫刻、噴水はバロック様式の特徴を強く示しており、間違いなく最も重要なバロック期の彫刻家であった。ベルニーニはその万能さではミケランジェロに迫るものがあった――彫刻し、建築家として働き、描き、戯曲を書き、上演を行った。20世紀末にはベルニーニの彫刻は、大理石を彫る名人芸と、身体と精神を調和させたフォルムの創造とによって非常に高名なものとなった。また有力者からの需要が多かった胸像の優れた彫り手でもあった。
バロック建築
バロック建築(Baroque Architecture)は、1590年頃から盛んになった建築様式。建築そのものだけではなく、彫刻や絵画を含めたさまざまな芸術活動によって空間を構成し、複雑さや多様性を示すことを特徴とする。特に内部空間の複雑な構成は、他の建築様式とは際立った特色となっている。
バロックの語源はポルトガル語のBarocco(歪んだ真珠)といわれ、元々は一部に見られるグロテスクなまでに装飾過剰で大仰な建築に対する蔑称(べっしょう)であったが、のちに広く17・18世紀の美術・建築に見られる傾向を指す様式概念として用いられるようになった。
バロック建築はドイツ中部(ルートヴィヒスブルク宮殿やツヴィンガー宮殿)、オーストリア、ポーランド(ヴィラヌフ宮殿やビャウィストク宮殿)、ロシア(ペテルゴフ宮殿)などでも熱狂的に受け入れられた。イギリスでは、バロック建築はクリストファー・レン卿、ジョン・ヴァンブルー卿、ニコラス・ホークスムアらによって1660-1725年頃に頂点を迎えた。
ヨーロッパの他の都市やイスパノアメリカでも数多くのバロック建築や都市計画を見ることができる。
バロック庭園
イタリア式庭園
イタリア式庭園でのバロックの庭はルネサンス期の16世紀にもみられ、エステ荘、ランテ荘の庭などにも、バロック性がみられるが、同国でこの形式の庭園の造営の中心は17世紀から18世紀にかけてで、特徴として、大規模カスケードや池のテラス化といったルネサンス式よりも斜面を大胆に利用しているものがみられ、壁面、噴水、彫刻、園亭、階段及び手摺り、水劇場(野外劇場)、グロット(庭園洞窟)、壁がん、鉢(花鉢、飾り鉢)など石造物もテラスにおいて多く用いられている。そして統一性と立体性を図り、カスケードと水劇場による力動性をもたせ、驚かせる、奇想さといった、遊戯性とスペクタクル(壮観)性、イベント性が強調され、ルネサンスの基本精神である古代文明・文化の復興・再現という考えや芸術観であった自然の模倣は後退し希薄となっていき、ルネサンスのシンメトリー、調和、比例に代わって、創造的奇才の発揮と、庭の学芸性、多様性、総合性から一面性へと向かった。
イタリア式の場合は、ローマの南東20キロにあるフラスカーティに多い。フラスカーティはローマ時代の一大別荘地、温泉地であり、丘陵地でルネサンス期に別荘地・保養地として見直された。イタリアンバロックの代表例ではアルドブランディーニ荘(1598-1603)があげられ、このほかにはトルローニア荘、モンドラゴーネ荘、ムッティ荘、ファルコニエーリ荘、ルフィネッラ荘、ファルネーゼ荘や、イゾラ・ベッラ(マジョーレ湖,ベッラ島階段状のバロック庭園,イタリア式庭園・バロック)などがある。
参考 Wikipedia