メンフィスのピラミッド地帯
メンフィスはエジプト古王国時代の首都。ギザの3大ピラミッドなど80余りのピラミッドが残され、中でも高さ146mのクフ王のものが最大。テーベはエジプト中王国・新王国の首都として栄え、ナイル川東岸にあるカルナック神殿や、西岸のラメセス2世などの葬祭殿、砂漠丘陵地の王家の谷の墓地群が、かつての繁栄を物語っている。
メンフィス
デルタ地方南端にある古王国時代の都。第1王朝初代の王メネスが建設したとされ、上・下エジプトの境界となった。
世界遺産 メンフィスのピラミッド地帯
メンフィスはエジプト古王国時代の首都。ギザの3大ピラミッドなど80余りのピラミッドが残され、中でも高さ146mのクフ王のものが最大。テーベはエジプト中王国・新王国の首都として栄え、ナイル川東岸にあるカルナック神殿や、西岸のラメセス2世などの葬祭殿、砂漠丘陵地の王家の谷の墓地群が、かつての繁栄を物語っている。
Memphis and its Necropolis – the Pyramid Fields from Giza to Dahshur – UNESCO World Heritage Centre
古代の王たちが築いた巨大建造物
メンフィスでは古代エジプト古王国時代(紀元前2650頃〜前2120頃)に築かれた世界的にも有名なピラミッドを見ることができる。ギザからダハシュールにいたる約30kmの間に、ピラミッドを含むおよそ30の歴史的建造物が点在している。
古王国時代以前の王や貴族の墓は、日干しレンガなどでつくられたマスタバと呼ばれる角形の墳墓であった。初めてピラミッドを建造させたのは古王国時代第3王朝のジェセル王である。これまでとは違う墓をつくるようジェセル王に命じられた宰相イムホテプは、「不滅の建材」である石をつかって、10mの高さのマスタバを構築。そしてマスタバの四方を拡張し、上に石を積んで4層のピラミッドを建造した。さらにその後、4層のピラミッドを土台にして、高さ60mに及ぶ6層のピラミッドを完成させた。これ以後、歴代の王たちは自身の力の大きさを競い合うように、ピラミッドを建造していった。
第4王朝のスネフェル王は、屈折ピラミッドや赤のミラミッドなど、在位中に3つのピラミッドを建造したとされている。スネフェル王の屈折ピラミッドは上部の勾配が下部に比べて緩やかになっているのが特徴。赤のピラミッドは、石材の色が赤いことからその呼び名がついた。
スネフェル王の跡を継いだクフ王の時代には、建造時の高さが150m
という巨大なピラミッドがつくられた。これは現存するピラミッドの中でも最大で、建造にあたって平均2.5tの石が約230万個使われたといわれている。
クフ王のピラミッド建造には多くの人が従事し、その数は3万人とも10万人とも推測されている。しかしどのような方法でこれだけの石を積み上げたのかはわかっておらず、世界七不思議のひとつにも数えられている。
クフ王のピラミッドの周辺からは労働従事者が寝泊まりする宿舎跡が発見されており、ピラミッドの建造は農閑期の人々に仕事を与える公共事業として行われていたとする説もある。
公共事業としてのピラミッド建造
カイロ近郊、ナイル川西岸のメンフィス周辺には、約30基のピラミッドが点在する。なかでもギザの三代ピラミッド(クフ王、カフラー王、メンカウラー王)は巨大である。最も大きいクフ王のピラミッドは、平均2.5tのいしが約230万個も使われ、建造時には高さが約150mあったとされる。これら巨大なピラミッドは、古王国時代に建造されたが、このような大量の大きな石をどのように積み上げたのかは、いまだ謎である。カフラー王のピラミッドへ続く参道の入り口に位置するスフィンクスも構成資産に含まれている。
ピラミッドは王墓との説が有力であるが、その建造の目的は、農閑期の人々を動員して生活を保障する公共事業であったという説もある。ピラミッド建造によって、エジプトの土木建築や測地などの技術は高度に発達した。
世界遺産登録対象
ギザ
- クフ王のピラミッド
- カフラー王のピラミッド
- メンカウラー王のピラミッド
北サッカラ
- ジェゼル王の階段ピラミッド
南サッカラ
- ペピ1世のピラミッド
- メルエンラー1世のピラミッド
ダハシュール
- スネフェル王の赤いピラミッド
- スネフェル王の屈折ピラミッド
ギザの大スフィンクス
ギザの大スフィンクス(Great Sphinx of Giza)は、巨大なスフィンクスの石像である。
古代エジプトの古王国時代に作られ、カイロ郊外、ギザのギザ台地の、三大ピラミッドのそばにある。 一般には単に「スフィンクス」と呼ばれることも多い。