ロシア・ツァーリ国( A.D.1547〜A.D.1721)
モスクワ大公国のイヴァン4世がツァーリ(皇帝)の称号を用いて古代ローマ、ビザンツに次ぐ「第三のローマ」を自認してから1721年にピョートル1世がロシア帝国建国を宣言するまで用いられていたロシア国家の公称。首都:モスクワ、アレクサンドロフ、サンクトペテルブルク。
ロシア・ツァーリ国
日本ではこの呼び名はあまり使われておらず、たんにロシアと書かれたり、モスクワ大公国、モスクワ国家、ロシア帝国と書かれることが多い。その他、ロシア皇国、モスクワ皇国などの翻訳があるが、使用例は限定的である。書籍や教科書ではロシア国と書かれることもある。
参考 Wikipedia
ヨーロッパ世界の形成と発展
東ヨーロッパ世界の成立
東スラヴ人の動向
イヴァン3世は最後のビザンツ皇帝コンスタンティノス11世の姪ソフィア(ゾイ・パレオロギナ)と結婚(1472)、ローマ帝国の後継者とギリシア正教の守護者をもって任じ、ツァーリ(皇帝)の称号を用いた。(ここに、ロシアは古代ローマ、ビザンツに次ぐ「第三のローマ」を自認した。)
内政面では全国一律の法典を整備し(1497)、大公権力の強化と農民の農奴化を進めたが、それらの政策はイヴァン4世(イヴァン雷帝 位:1533〜1584)に受け継がれ、16世紀のロシアはポーランドにかわって東欧の強国の地位を占めるにいたった。