ロシア革命 A.D.1917〜
ロシアでおこり、史上初の社会主義国家を成立させた革命。ロマノフ朝を崩壊させた 二月革命(三月革命) と、社会主義政権をうちたてた 十月革命(十一月革命) からなり、全世界にきわめて大きな影響をおよぼした。
ロシア革命
ロシアでおこり、史上初の社会主義国家を成立させた革命。ロマノフ朝を崩壊させた二月革命(三月革命)と、社会主義政権をうちたてた十月革命(十一月革命)からなり、全世界にきわめて大きな影響をおよぼした。第一次世界大戦の中で革命勢力は力をのばし、1917年3月には首都で労働者・兵士が蜂起してソヴィエトを組織し、ブルジョワ階級と合流してロマノフ朝を滅亡に追いこんだ(二月革命(三月革命))。ブルジョワを主体とする臨時政府はソヴィエトからも閣僚を迎えたが、英・仏との関係を重視し、戦争を継続した。労働者・兵士は次第に臨時政府から離れ、レーニンが指導するボリシェヴィキは、臨時政府を倒し、社会主義政権を樹立した(十月革命(十一月革命))。
二月革命(三月革命):1917 ロマノフ朝を滅亡させた革命。1917年三月(ロシア歴では2月)、ペトログラードでの労働者のストライキに、鎮圧出動を拒否した兵士たちも加わり、ソヴィエトが結成された。その支持を得て、国会ではブルジョワジーを中心とする臨時政府が組織された。皇帝ニコラス2世は退位し、ロマノフ朝は滅亡した。
十月革命(十一月革命):1917年11月(ロシア歴では10月) ロシアに社会主義政権を樹立した革命。二月革命(三月革命)後、戦争を継続する臨時政府とソヴィエトの二重権力状態が続いた。9月初め、ボリシェヴィキは、ケレンスキー内閣に対する軍部のクーデタ鎮圧に貢献し、ソヴィエト内での力を強めた。11月7日、レーニンはケレンスキーの臨時政府を倒し、社会主義政権樹立の第一歩をふみだした。
二つの世界大戦
第一次世界大戦とロシア革命
ロシア革命
第一次大戦が勃発するとロシアでも、ボリシェヴィキとメンシェヴィキをのぞいて国会は政府との戦争協力体制に入った。しかし、緒戦のタンネンベルクの戦いで敗北を喫したあと、1915年春から夏にかけてのガリツィアとポーランドでも大敗して挙国一致体制は激しく動揺した。前線の兵士の間には厭戦気分が広まり、1916年夏には、労働運動が再び高揚し、中央アジアの諸民族も動員に抗議して蜂起した。鉄道など交通網の不備から都市への食料・燃料の供給は低下する一方であったが、ロシア帝国の北西隅にある首都ペトログラードでは事態はいっそう深刻であった。革命は自然発生的な大衆運動として始まった。1917年3月8日、国際婦人デーの日にペトログラードの女性労働者が「パンよこせ」のデモを始めると、デモは専制打倒と平和を求める全市的なゼネストに発展した。兵士もこれに合流し、各地に労働者・兵士のソヴィエト(評議会・会議)が組織された。ソヴィエトの動きを警戒した国会は自由主義諸党派を中心に臨時政府を成立させ、皇帝ニコライ2世は退位した(二月革命(三月革命)) ❶ 。ここにロマノフ朝は崩壊したが、ソヴィエトと臨時政府が並立する二重権力の状況が出現し、以後いっきょに国会の解体が進むことになった。
臨時政府はロシアを自由な共和国とし、メンシェヴィキと社会革命党が多数を占める労兵ソヴィエトの支持をえて政治犯の大赦、言論・集会・結社の自由、身分的・宗教的・民族的規制の撤廃などを実現した。しかし、臨時政府の目標は帝政にかわって連合国 の一員として戦争に勝利することであった。ソヴィエト内ではポリシェヴィキは少数派であったが、1917年4月、指導者のレーニン(1870〜1924)が亡命先のスイスから帰国した。レーニンは革命的祖国防衛主義を批判して戦争の即時中止を求め、労働者と農民からなるソヴィエトが権力を握ることを訴えた(四月テーゼ)。農村では土地を求める農民革命が、ウクライナやフィンランドでは民族革命が並行して進行した。首都の兵士・労働者の間に「いっさいの権力をソヴィエトへ」というスローガンを掲げたポリシェヴィキの影響が広まると、臨時政府は社会革命党のケレンスキー(1881〜1970)を首班とし、自由主義者と社会主義者との連立政府を成立させて態勢を立て直そうとした。しかし、9月にコルニーロフ将軍(1870〜1918)の反政府反乱がボリシェヴィキの協力によって鎮圧されると、革命派の力はいっそう強まった。11月7日(露暦 10月25日)、レーニン・トロツキー(1879〜1940)らは武装蜂起して政府を倒し、政権を握った。ポリシェヴィキと社会革命党左派が多数を占めることになった全ロシア=ソヴィエト会議は、8日から9日にかけてレーニンが書いた「労働者・兵士・農民諸君へ」「平和に関する布告」「土地に関する布告」を採択した。「平和に関する布告」は無併合・無賞金・民族自決の原則による即時講和を全交戦国の人民と政府に呼びかけ、秘密条約の公表を約束した。「土地に関する布告」は地主の土地を無償で没収することなどを定めた。こうしてソヴィエト政権は、二月革命(三月革命)以来国民が求めてきた平和と土地の問題に解決の緒を示したのである。これが十月革命(十一月革命)である。
第一次世界大戦年表
ヨーロッパ・アメリカ | アジア | |||
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1908 | 10 | 澳、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合 | 7 | 青年トルコ革命 |
1911 | 7 | 第2次モロッコ事件 | 10 | 辛亥革命 |
9 | イタリア=トルコ戦争(〜12.10) | |||
1912 | 10 | 第1次バルカン戦争(〜13.2) | 1 | 中華民国成立 |
1913 | 6 | 第2次バルカン戦争(〜8) | 7 | 中国第二革命 |
1914 | 6 | サライェヴォ事件 | ||
7 | 墺、セルビアに宣戦 | |||
8 | 独、ロシア・フランスに宣戦、ベルギー侵入 | 8 | 日本、ドイツに宣戦 | |
英、ドイツに宣戦 | インド参戦 | |||
タンネンベルクの戦い | ||||
9 | マルヌの会戦、仏が独を阻止 | 10 | オスマン帝国、同盟国側に参戦 | |
11 | 日本、青島攻略 | |||
1915 | 4 | イープルの戦い(毒ガス初使用) | 1 | 日本、二十一カ条の要求 |
5 | 伊、三国同盟破棄、オーストリアに宣戦 | 中国、文学革命運動 | ||
ルシタニア号事件 | 9 | フセイン・マクマホン協定 | ||
10 | ブルガリア、同盟国側に参戦 | 12 | 袁世凱帝政宣言→第三革命 | |
1916 | 2 | フェル弾要塞攻防戦(仏が死守) | ||
5 | ユトランド沖海戦 | 5 | サイクス・ピコ協定 | |
6 | ソンムの戦い(連合軍の攻勢) | |||
1917 | 1 | 米、ウィルソン大統領「勝利なき平和」 | ||
2 | 独、無制限潜水艦作戦 | |||
3 | 露、二月革命(三月革命) | |||
4 | 米、ドイツに宣戦 | 7 | ロレンス、アラビアで蜂起を組織 | |
8 | 中国、ドイツに宣戦 | |||
9 | 孫文、広東軍政府成立(〜20) | |||
11 | 露、十月革命(十一月革命)「平和に関する布告」 | 11 | バルフォア宣言 | |
石井・ランシング協定 | ||||
1918 | 1 | ウィルソン大統領「十四カ条」提案 | ||
3 | ブレスト=リトフスク条約 | |||
9 | ブルガリア、休戦 | 8 | 日本、シベリア出兵 | |
10 | オスマン帝国、休戦 | |||
11 | 墺、休戦 | |||
ドイツ革命 | ||||
第一次世界大戦終結 | ||||
1919 | 1 | パリ講和会議 | 3 | 朝鮮、三・一独立運動 |
3 | コミンテルン結成 | 英、インドにローラット法 | ||
6 | ヴェルサイユ条約調印 | 5 | 中国、五・四運動 | |
7 | ソヴィエト、カラハン宣言 |
ヴェルサイユ体制下の欧米諸国
西欧諸国の停滞
第一次世界大戦後、イギリス・フランス両国はドイツの海外植民地、中東のオスマン帝国領などを勢力下におさめ、海外植民地・勢力圏を史上最大規模に拡大したが、イギリスは国際金融センターの地位をアメリカに奪われ、フランスもロシア帝国への投資をロシア革命によって回収できなくなって、国外資産の半分を失うなど、世界経済内の地位では深刻な打撃をうけた。