三十年戦争
戦争の惨禍(ジャック・カロ画/ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館蔵)©Public Domain
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三十年戦争( A.D.1618〜A.D.1648)
神聖ローマ帝国内での新旧両派諸侯間の宗教対立から戦いが始まったが、新教国デンマーク、スウェーデンが新教側援助を名目に参戦して国際戦争に拡大。しかし最後の段階で、旧教国フランス(ブルボン家)が旧教側の中心である神聖ローマ帝国ハプスブルク家)打倒のために新教側に立って参戦したため、戦争の宗教的性格が薄れ、国家間の勢力争いの性格が前面にでてきた。

三十年戦争

17世紀のヨーロッパの戦争と内乱地図

17世紀ヨーロッパの戦争と内乱地図
17世紀ヨーロッパの戦争と内乱地図 ©世界の歴史まっぷ

三十年戦争の経過

三十年戦争経過図
三十年戦争経過図 ©世界の歴史まっぷ
  • 旧教連盟:1609年成立
  • 新教同盟:1608年成立

神聖ローマ帝国内での新旧両派諸侯間の宗教対立から戦いが始まったが、やがて新教国デンマーク、スウェーデンが新教側援助を名目に参戦して国際戦争に拡大した。しかし最後の段階で、旧教国フランス(ブルボン家)が旧教側の中心である神聖ローマ帝国(ハプスブルク家)打倒のために新教側に立って参戦したため、戦争の宗教的性格が薄れ、国家間の勢力争いの性格が前面にでてきた。

  • 1618〜1623 ベーメン・ファルツ戦争(ドイツの内乱)、ベーメンの反乱
  • 1625〜1629 デンマーク戦争(国際戦争化)、ドイツ新教徒
  • 1630〜1635 スウェーデン戦争、ドイツ新教徒
  • 1635〜1648 フランス・スウェーデン戦争(政治戦争化)、ドイツ新教徒
三十年戦争
戦争の惨禍(ジャック・カロ画/ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館蔵)©Public Domain

三十年戦争の主役、傭兵隊の経費は戦場となった地方の住民から強制的に略奪し、まかなわれた。兵士の略奪や暴行が横行し、ドイツの荒廃ぶりはすさまじく、人口が4分の1になったといわれる。上図はジャック・カロによる傭兵が処刑される場面。

プラハ窓外投擲事件
プラハ窓外投擲事件(マテウス・メーリアン画)©Public Domain

新教徒を迫害するハプスブルク家の大公(のちのフェルディナント2世(神聖ローマ皇帝)を王にいただくことを拒否したベーメン貴族が、王の使者を窓から投げ落とした事件。プラハの反乱と報じられ、30年戦争の発端となった。

交戦国

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