井上馨
井上馨(東京東京国立図書館蔵/近代日本人の肖像

井上馨


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情報

出生地 周防国吉敷郡湯田村(現山口県山口市湯田温泉)
没年月日 1915年9月1日(満79歳没)
死没地 静岡県静岡市
称号 従一位、大勲位菊花章頸飾、侯爵
配偶者 井上武子

第5代 外務卿

在任期間 1879年9月10日 – 1885年12月22日

初代 外務大臣

内閣 第1次伊藤博文内閣
在任期間 1885年12月22日 – 1887年9月17日

第5代 農商務大臣

内閣 黒田内閣
在任期間 1888年7月25日 – 1889年12月23日

第10代 内務大臣

内閣 第2次伊藤内閣
在任期間 1892年8月8日 – 1894年10月15日

第6代 大蔵大臣

内閣 第3次伊藤内閣
在任期間 1898年1月12日 – 6月30日

1862年
御楯組の一員として高杉晋作や久坂玄瑞・伊藤らと共に12月のイギリス公使館焼討ちに参加
1863年
執政・周布政之助を通じて洋行を藩に嘆願、伊藤博文・山尾庸三・井上勝・遠藤謹助と共に長州五傑の1人としてイギリスへ留学(密航)
1871年
廃藩置県の秘密会議に出席、同月に副大臣相当職の大蔵大輔に昇進、大蔵卿・大久保利通が木戸や伊藤らと岩倉使節団に加わり外遊中は留守政府を預かる。
1876年
江華島事件の処理として、弁理大臣・黒田清隆と朝鮮に渡り、日朝修好条約規を締結。
1882年
壬午事変の処理として、済物浦条約を締結。
1885年
朝鮮と漢城条約締結。
1883年
鹿鳴館建設。
1885年
第1次伊藤内閣の外務大臣に就任。
1888年
黒田内閣の農商務大臣に就任。
1892年
第2次伊藤内閣の内務大臣に就任。
1894年
日清戦争勃発、朝鮮公使に転任。
朝鮮で金弘集内閣を成立させ改革に着手したが、三国干渉によるロシアの朝鮮進出と朝鮮の親露派台頭、ロシアと事を構えたくない日本政府の意向で成果を挙げられないまま帰国した。

井上公園

井上馨の生家跡に作られた公園。湯田出身の詩人・中原中也の詩碑、湯田温泉を愛した俳人・種田山頭火の句碑などが建つ。 また、公園内には、無料で利用できる足湯もある。
所在地:山口県山口市湯田温泉2-5

井上馨の生涯の記録

世外侯事歴 維新財政談

生前から井上の生涯を記録する動きがあり、三井物産社長の益田孝と井上の養嗣子勝之助が編纂して大正10年(1921年)9月1日に財政面を主に書いた『世外侯事歴 維新財政談』が上・中・下の3冊で刊行。昭和2年(1926年)に勝之助の提案で井上の評伝を作ることが決められ、昭和8年(1933年)から翌9年(1934年)にかけて全5巻が刊行。

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明治元勲 井上侯実伝

伊藤痴遊が明治41年に井上の快気祝いとして評伝『明治元勲 井上侯実伝』を出版。

近代デジタルライブラリー – 明治元勲井上侯実伝

血気時代の井上侯

大正元年に『血気時代の井上侯』を出版。

近代デジタルライブラリー – 血気時代の井上侯 : 附・井上侯別府行の由来

同時代の人物

ヴィクトリア女王(1819〜1901)

イギリス王国ハノーヴァー朝第6代女王。世界各地を植民地化・半植民地化して繁栄を極めた大英帝国を象徴する女王として知られ、その治世は「ヴィクトリア朝」と呼ばれる。在位は63年7か月にもおよぶ。

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