世界遺産「古代都市テーベとその墓地遺跡」はエジプトのナイル川沿い、ルクソール近郊にあり、地中海からおよそ800㎞南方に位置する。テーベ(現・ルクソール)は約1,000年もエジプトの首都として栄華を誇る。
カルナック神殿やルクソール神殿の他、ツタンカーメンの墓がある「王家の谷」や数々の葬祭殿が点在しており、考古学的価値が非常に高い一大遺跡地区。神殿は絶対権力の証であり、永遠の家。ラメセス2世は、エジプト史上最強のファラオと言われ、誰よりも建築事業を推し進めた。
ルクソール神殿
B. 聖舟祠堂 (Barque shrine) – アメンホテプ3世とアレクサンドロス大王
C. 「誕生の間」 (“Birth room”) – (中心軸:第2前室)
D. ローマ時代の内陣 (Roman sanctuary) – 第1前室
E. 列柱室 (Hypostyl hall)
F. 第3塔門 (3rd pylon)
G. 大列柱廊 (Processional colonnade) – アメンホテプ3世
H. 第2塔門 (2nd pylon)
I. 第1塔門 (1st pylon) – ラメセス2世
K. オベリスク (Obelisks) – ラメセス2世
ルクソール神殿(Luxor Temple)は、エジプトのルクソール(古代のテーベ)東岸にある古代エジプト時代の神殿複合体である。
もともとカルナック神殿の中心を形成するアメン大神殿の付属神殿として、エジプト第18王朝(紀元前1550-1295年頃)ファラオのアメンホテプ3世(紀元前1390-1352年頃)によって中心部分が建立された。
神殿の後方には、アメンホテプ3世およびアレクサンドロス3世(紀元前332-323年)によって構築された祠堂がある。
ローマ時代には、神殿およびその周辺は軍の要塞となり、その領域はローマ政府の基地であった。
アメン大神殿とはスフィンクスの参道で結ばれていた。神殿入口となる第1塔門の前には1対のラメセス2世(紀元前1279-1213年頃)の坐像、その手前にはオベリスク(高さ25メートル)が1本立っている。
オベリスクは本来左右2本あったが、右側の1本(高さ22.55メートル)は1819年、フランスに贈られてパリに運ばれ、現在コンコルド広場にある。
- 英名: Ancient Thebes with its Necropolis
- 登録区分: 文化遺産
- 登録年: 1979年
戦いに勝利する度、神に感謝し、神殿の増築を繰り返した。
古代都市 テーベ
ナイル川東岸、地中海から約800km南方に位置する。
上エジプト4番目の都市であり、現地では「ワセト」(Waset)と呼ばれた(「ワセト」は「都市」とほぼ同義)。
古代エジプトの王都はメンフィスに置かれることが多かったが、中王国の第11王朝から新王国の第18王朝までテーベがエジプトの都とされた。
その後、第19王朝でデルタに遷都されたが、アメン信仰の総本山であるカルナック神殿を中心として、重要な宗教都市としての地位を保ち続けた。
テーベの遺跡群はその考古学的価値が高く、古代エジプト文明の貴重な証言者となっている。また、現代ではナイル川西岸の葬祭殿(→ハトシェプスト女王葬祭殿)と墓所群(→王家の谷)もテーベの一部であると見なされている。
旧約聖書では「ノ・アモン」(アメン神の都市)と記録され、古代ギリシャの詩人ホメロスはイリアス(BC7C)でテーベの富と財宝について触れ、感嘆の言説を述べている。
「ルクソール」と「カルナック」はテーベ郊外の2つの重要な神殿遺跡、および周辺街に名付けられたアラビア語の呼称である。
王家の谷のツタンカーメンの墓からは有名なツタンカーメンの黄金のマスクが発掘されている。
参考資料
トップ画像出典: ファイル:Pylons and obelisk Luxor temple.JPG – Wikipedia