壬午軍乱
壬午軍乱 日本大使館焼き討ち後、朝鮮を脱出する花房ら公使館員(作者不詳/WIKIMEDIA COMMONS)©Public Domain

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壬午軍乱 じんごぐんらん (壬午事変 ( A.D.1882〜)
閔氏一族の専横に対し、軍人たちが漢城で起こした反乱。閔妃派の要人や日本公使館を焼き討ちした。この反乱に乗じて大院君が政権につき、改革に取り組んだが、介入した清軍に抑留され、閔妃が再び権力を握った。日本は済物浦条約さいもっぽじょうやくで朝鮮から賠償金と駐兵権を得たが、清も朝鮮への干渉を強め、朝鮮をめぐる日清両国の対立は激化した。

壬午事変

1882年、朝鮮の都、漢城(現ソウル)で起こった事変。親日策をとる閔妃に対し、守旧派しゅきゅうは兵士が大院君を担いでクーデタを決行。日本大使館も襲われたが、清の派兵で鎮圧。日朝間に済物浦条約さいもっぽじょうやくが成立したため、清は朝鮮への宗主権の強化を図り、閔妃派は親清策に転じた。

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閔氏一族の専横に対し、軍人たちが漢城で起こした反乱。閔妃派の要人や日本公使館を焼き討ちした。この反乱に乗じて大院君が政権につき、改革に取り組んだが、介入した清軍に抑留され、閔妃が再び権力を握った。日本は済物浦条約さいもっぽじょうやくで朝鮮から賠償金と駐兵権を得たが、清も朝鮮への干渉を強め、朝鮮をめぐる日清両国の対立は激化した。

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アジア諸地域の動揺

東アジアの激動

甲午農民戦争と日清戦争

日朝修好条規の締結は、朝鮮の宗主国の立場にあった清を刺激し、清朝側でも李鴻章が中心となって朝鮮に対する干渉政策が推進された。おりしも朝鮮内部では複雑な政治抗争が展開され、これにからむかたちで朝鮮半島における日・清の対立が深まっていった。まず1882年、当初日本に接近して内政改革を進めていた閔妃びんひ(1851〜95, 国王高宗の妃)派の政府に対し、保守派の大院君が軍隊を扇動してクーデタをおこし、日本公使館が焼き打ちされるなどした。朝鮮に対する干渉強化の好機とみた清朝は、大軍を派遣して大院君を捕らえ、閔妃政権を復活させた。これを壬午軍乱じんごぐんらん(壬午政変)といい、この事件後、閔妃派は急速に清に接近するようになった。このように清の勢力下で朝鮮の安全維持をはかる一派を事大党じだいとうと呼ぶ。これに対し、金玉均きんぎょくきん(キムオッキュン 1851〜94)ら急進的改革による朝鮮の近代化をめざす一派は独立党と呼ばれ、日本の明治維新をモデルとし、日本との提携をはかっていった。1884年、清仏戦争における清の敗戦に乗じ、独立党は日本の後援下に事大党政権打倒のクーデタをおこしたが、清軍の出動によって失敗に終わった。これを甲申政変こうしんせいへん(1884, 甲申事変)という 。 事件後、日清間に天津条約(甲申政変)が結ばれ、両国の朝鮮からの共同撤兵や、非常時の出兵に際しての事前通告などが約されたが、朝鮮における日本勢力の後退は明らかであった。

独立党の指導者金玉均は日本に亡命したのち、日清戦争直前に上海で閔妃政府の刺客に暗殺され、遺体はソウルに運ばれてさらされた。
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明成皇后 神貞王后 高宗(朝鮮)
「明成皇后」登場人物相関図

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