宮城事件 (八・一五事件)
1945年8月14日の深夜から15日。一部の陸軍省勤務の将校と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件。
日本の降伏を阻止しようと企図した将校達は近衛第一師団長森赳中将を殺害、師団長命令を偽造し近衛歩兵第二連隊を用いて宮城(皇居)を占拠した。しかし陸軍首脳部及び東部軍管区の説得に失敗した彼らは自殺もしくは逮捕され、日本の降伏表明は当初の予定通り行われた。
宮城事件
主要人物
米内光政(よないみつまさ)
岩手県出身。第37代内閣総理大臣。事件当時は海軍大臣。
鈴木貫太郎(すずきかんたろう)
大阪出身。第42代内閣総理大臣。
東郷茂徳(とうごうしげのり)
朝鮮人陶工の子孫で形成された集落「苗代川村」出身。外務大臣。
阿南惟幾(あなみこれちか)
東京都出身。陸軍大将。
梅津美治郎(うめづよしじろう)
大分県出身。陸軍大将。
松阪広政(まつざかひろまさ)
京都府出身。司法大臣。A級戦犯として戦後逮捕される。
安倍源基(あべげんき)
山口県出身。内務大臣。
木戸幸一(きどこういち)
東京都出身。文部大臣。
石渡荘太郎(いしわたそうたろう)
東京都出身。宮内大臣。
森赳(もりたけし)
高知県出身。陸軍中将。
- 1945年8月14日、ポツダム宣言受諾に際し、東部軍管区参謀不破博中佐の訪問を受け、「承詔必謹」の方針を確認する。その後、蓮沼蕃(はすぬましげる)侍従武官長(じじゅうぶかんちょう)のもとを訪ね、師団長室に戻ってまもなく、東部軍管区司令部に参集を命ぜられ、田中静壱(たなかしずいち)司令官から正式に終戦の大命を伝達される。
- 8月15日未明、宮城事件(きゅうじょうじけん)が勃発する。このとき近衛師団司令部の師団長室において義弟の白石通教(しらいしみちのり)中佐と談話中であったが、井田正孝(いだまさたか)中佐、椎崎二郎(しいざきじろう)中佐、畑中健二(はたなかけんじ)少佐、窪田兼三少佐らに面会を強要される。
井田中佐に決起を迫られたが、クーデターへの参加を拒否したため、畑中少佐から発砲を受け、更に航空士官学校の上原重太郎大尉に軍刀で斬りつけられ殺害された。上原大尉は、上司である陸軍航空士官学校長徳川好敏(とくがわよしとし)陸軍中将の強唆もあり、その後自決した。(なお、窪田兼三少佐は白石中佐の首を刎ねたものの、森中将には手をかけていないことが東部憲兵隊の公式記録や事件現場の状況、本人の証言等から判明。上原重太郎大尉は森師団長の肩を斬ったことが同様に判明。)
参考: Wikipedia