山東京伝 さんとうきょうでん( A.D.1761〜A.D.1816)
江戸時代後期の戯作者。初め北尾重政の門に入り浮世絵師として活躍する一方黄表紙を著わし、自作自画の『御存商売物』により黄表紙界に地歩を築いた。洒落本『令子洞房』を出し、みずから吉原になじみ、精細な描写と「うがち」によって洒落本界の第一人者となったが、寛政の改革の際に禁を犯して『仕懸文庫』などの3部の洒落本を出版して50日の手鎖に処せられた。
山東京伝
江戸時代後期の戯作者。本名、岩瀬醒(さむる)。通称、京屋伝蔵。号、醒斎。画工名、北尾政演(まさのぶ)。狂歌名、身軽折輔。弟は山東京山。江戸深川の質屋に生れる。初め北尾重政の門に入り浮世絵師として活躍する一方黄表紙を著わし、天明2(1782)年自作自画の『御存(ごぞんじの)商売物』により黄表紙界に地歩を築いた。同5年、洒落本『令子洞房(むすこべや)』を出し、みずから吉原になじみ、精細な描写と「うがち」によって洒落本界の第一人者となったが、寛政の改革の際に禁を犯して『仕懸(しかけ)文庫』(91)などの3部の洒落本を出版して50日の手鎖に処せられた。以後は京橋でたばこ入れの店を営むかたわら、読本、黄表紙に専心するが、読本は弟子格の曲亭馬琴に及ばず、晩年は不遇であった。風俗考証にも長じ『骨董集』(1814~15)などがある。代表作『江戸生艶気樺焼(えどうまれうわきのかばやき)』『通言総籬(そうまがき)』『傾城買四十八手(けいせいかいしじゅうはって)』『桜姫全伝曙草紙』『昔話稲妻表紙(むかしかたりいなづまびょうし)』など。
参考 ブリタニカ国際大百科事典
退廃文化の象徴
戯作者。江戸京橋に住む。売薬業を営むかたわらで、執筆活動を開始する。黄表紙、洒落本のジャンルで、当時のベストセラー作家の地位を築く。しかし、寛政の改革の風紀取り締まりによって、黄表紙『仕懸文庫』が処罰の対象になり、手鎖50日とされた。
幕藩体制の動揺
幕政の改革
寛政の改革
民間に対しては、絵双紙類で風俗に悪影響を与えるもの、世上の噂を写本にして貸すことの禁止などを盛り込んだ出版統制令が出され、幕府政治への諷刺や批判を取り締まり、風俗の刷新がはかられた。旺盛な創作活動をしていた洒落本作者の山東京伝(1761〜1816)や、黄表紙作者の恋川春町(1744〜89)、出版元の蔦屋重三郎(1750〜97)らが弾圧された。さらに、林子平(1738〜93)が『三国通覧図説』『海国兵談』などで外国による日本侵攻の危険を指摘し、軍備の充実や海岸防備の強化を主張したが、都府は「奇怪異説」を説いて人心を惑わすとして版木を没収し、子平に禁錮刑を科して弾圧した。