承徳避暑山荘 承徳避暑山荘と外八廟
承徳避暑山荘と外八廟 Wikipedia

承徳避暑山荘


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承徳避暑山荘

中国河北省承徳市にある、清王朝歴代の皇帝が避暑と政務を行った離宮。1703~1792年に建造。中国四大名園のひとつ。山荘を囲んでいた12の寺廟のうち、8つの廟は「外八廟」と呼ばれ、7つが現存している。1994年「承徳避暑山荘と外八廟」として世界遺産に登録されている。

承徳避暑山荘

概要

清の皇帝は瀋陽(当時の奉天)に参拝に行くことがあったが、御幸では承徳に立ち寄ることが多かった。承徳は季候がよく、自然が豊かで景色に優れ、また温泉などもあったことから、康熙帝は1703年にここに離宮を造ることを決定した。雍正帝の治世を経て乾隆帝治世の1741年から大規模な整備がなされ、着工から87年の時を経て1790年に完成した。

避暑山荘の建築にあたっては、江南地方の名園・名勝を参考にしたと言われている。蘇州の獅子林や寒山寺、杭州の武陵寺六和塔、鎮江の金山亭、嘉興の煙雨楼などを模して作られた建造物があり、内モンゴルや大興安嶺などから松が持ち込まれ移植されている。また園内の文津閣(šu dogon asari)には四庫全書が収蔵されている。

参考 Wikipedia

アジア諸地域の繁栄

清代の中国と隣接諸地域

清朝の統治

皇帝は通常北京の紫禁城で政務をおこなっていたが、夏から秋にかけての数ヶ月間は熱河ねっか(河北省承徳市)の離宮(承徳避暑山荘)で過ごし、また内モンゴルで狩をするのが清朝前半期の習慣であった。ちなみに18世紀末、中国を訪れたイギリス使節の初代マカートニー伯爵ジョージ・マカートニーが乾隆帝に拝謁を許されたのが熱河の離宮(承徳避暑山荘)であった。

清朝の統治 – 世界の歴史まっぷ

承徳避暑山荘と外八廟

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