新バビロニア(カルデア) Chaldea B.C.625〜B.C.539
セム語系のカルデア人の国。都はバビロン。アッシリアを倒し、その後の4王国のなかでもっとも強勢となった。前539年、アケメネス朝のキュロス2世に滅ぼされた。
新バビロニア
セム語系のカルデア人の国。都はバビロン。アッシリアを倒し、その後の4王国のなかでもっとも強勢となった。前539年、アケメネス朝のキュロス2世に滅ぼされた。
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アッシリア
メソポタミア南部に移動していたアラム人の一派と思われるカルデア人は、紀元前625年にバビロンを都として新バビロニア(カルデア王国)を樹立すると、メディアと同盟してアッシリアを攻め、紀元前612年にニネヴェを陥れてこれを滅ぼした。このようにしてアッシリアによる統一が崩れたあと、オリエントは、メディア王国、リディア王国、新バビロニア、エジプト第26王朝(新王国)の4国が併立する形勢となった。なかでも、メソポタミアからシリア・パレスチナへかけての「肥沃な三日月地帯」を支配した新バビロニアがもっとも優勢であった。ネブカドネザル2世の時代(紀元前605年-紀元前562年)が最盛期で、首都バビロンは繁栄し、世界七不思議のひとつに数えられる「空中庭園」などもつくられた。
アケメネス朝
ペルシア人たちは同じくイラン系のメディアの支配下におかれていたが、アケメネス家のキュロス2世(在位紀元前559〜紀元前530)が紀元前550年にメディアを倒して独立王国を樹立した。彼がさらに紀元前546年にリディアを、紀元前538年に新バビロニアを滅ぼしたあと、その子のカンビュセス2世は紀元前525年にエジプトを征服し、第3代のダレイオス1世の時代には、東はインダス川より西はエーゲ海北岸、南はエジプトまでを含む大帝国に発展した。
新バビロニアの王
- ナボポラッサル (Nabopolassar)
- 紀元前625年 – 紀元前605年
アッシリアからバビロン奪取し建国 - 紀元前612年、ニネヴェの戦い
- 紀元前605年、カルケミシュの戦い
- ネブカドネザル2世 (Nebuchadnezzar II)
- 紀元前604年 – 紀元前562年
エジプト第3中間期 第26王朝ファラオ・ネコ2世率いるエジプト軍を撃退し、新バビロニアの最盛期を築く
イシュタル門、空中庭園の建設
バビロン捕囚 - アメル・マルドゥク (Amel-Marduk)
- 紀元前562年 – 紀元前560年
- ネルガル・シャレゼル (Nergal-sharezer)
- 紀元前560年 – 紀元前556年
- ラバシ・マルドゥク (Labashi-Marduk)
- 紀元前556年 9ヶ月で暗殺
- ナボニドゥス (Nabonidus)
- 紀元前555年 – 紀元前539年
息子のベルシャザル(摂政)と共同統治。
紀元前539年 オピスの戦いで敗れ、キュロス2世率いるアケメネス朝ペルシアにバビロンへ無欠入城され滅亡