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後漢

晋王朝

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( A.D.220〜A.D.265)

三国時代の王朝。曹丕そうひが帝位について成立し、三国最強の国力を持ち、華北を領有した。263年にを滅ぼしたが、265年に武将の司馬炎に譲位し、5代で滅亡した。

世界史対照略年表(前400〜600)
世界史対照略年表(前400〜600)©世界の歴史まっぷ

三国時代の王朝。曹丕そうひが帝位について成立し、三国最強の国力を持ち、華北を領有した。263年に蜀を滅ぼしたが、265年に武将の司馬炎に譲位し、5代で滅亡した。

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歴代皇帝

曹魏皇帝一覧

代数廟号諡号姓名在位元号陵墓即位前の爵位退位後
高皇帝曹騰季興漢の費亭侯
太皇帝曹嵩巨高漢の費亭侯
太祖武皇帝曹操孟徳高陵漢の魏公

→漢の魏王
1高祖文皇帝曹丕子桓220年 - 226年黄初 220年-226年首陽陵漢の魏王
2烈祖明皇帝曹叡元仲226年 - 239年太和 227年-233年

青龍 233年-237年

景初 237年-239年
高平陵斉公

→平原王
3厲公曹芳蘭卿239年 - 254年正始 240年-249年

嘉平 249年-254年
斉王斉王

→晋の邵陵県公
4曹髦彦士254年 - 260年正元 254年-256年

甘露 256年-260年
高貴郷公
5元皇帝曹奐景明260年 - 265年景元 260年-264年

咸熙 264年-265年
常道郷公晋の陳留王

参考 Wikipedia

東アジア世界の形成と発展

北方民族の活動と中国の分裂

分裂の時代
魏の建国

後漢末の混乱の中からもっとも頭角を現したのは曹操であった。曹操は、その本拠地であるきょ(河南省)に後漢の皇帝を迎えて実権を握り、その命令をうけるかたちで、華北の大部分を平定した。その子の曹丕そうひ(文帝)は、220年に皇帝の位を譲らせて帝位につき、都を洛陽とした。

晋の建国

3国のうちもっとも優勢であったのは、華北の大半を支配した魏であった。魏は、後漢末から遼東地方(中国の東北地方)に自立していた公孫氏の政権を倒し、高句麗を討ち、朝鮮の楽浪・帯方の2郡も抑えて領域に加え(邪馬台国の女王卑弥呼が、帯方郡に使者を派遣し魏に朝貢したのは、この翌年(239)のこととされる。)、やがて蜀も滅ぼした(263)。

しかし、魏の帝室は曹丕(文帝)ののち、一族の間での争いからしだいに力を失い、かわって勢力を蓄えたのは司馬氏であった。蜀を滅ぼして2年後、魏の将軍司馬炎しばえんは皇帝の位について(武帝)晋(西晋を建国した。

魏の時代が登場する作品

三国志 Three Kingdoms

三国志 three-kingdoms 官渡の戦い
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