真臘 (カンボジア)(
A.D.550〜A.D.1431)
真臘(カンボジア)は、6世紀〜15世紀にメコン川中流域おこったクメール人の国家。8世紀に南北分裂、12世紀アンコール朝が全盛期をむかえ、アンコール・ワットを造営、アンコール・トムを増築した。13世紀後半に衰退に向かい、14世紀後半にタイのアユタヤ朝に圧迫されて領土を失う。
- 550年 扶南国の属国
- 610年 独立
- 628年 扶南国吸収
- 713年 南北分裂
- 802年 ジャヤーヴァルマン2世の統一、クメール王朝成立
- 1431年 アユタヤ王朝により都ヤショーダラプラ占領される
真臘
アジア・アメリカの古代文明
東南アジアの諸文明
民族国家の形成
真臘
クメール人(カンボジア人)
扶南にとってかわった真臘は8世紀はじめに南の水真臘と北の陸真臘に分かれて争い、国力を消耗させて一時シュリーヴィジャヤの勢力下に入ったが、9世紀初めにジャヤーヴァルマン2世が国内を再統一し、クメール王朝(アンコール朝)を開いてから強盛となった。
クメール王朝(アンコール朝)
クメール人(カンボジア人)
クメール王朝(アンコール朝)はアンコール地方に都をおき、その領土はインドシナ半島の中部・南部のほぼ全域におよんだ。また神聖化された王権のもとで、王城やヒンドゥー教・仏教の大寺院がつぎつぎに建造された。12〜13世紀にでたスーリヤヴァルマン2世とジャヤーヴァルマン7世の時代が最盛期であり、前者によってアンコール・ワット(都城寺院)が建造され、後者によってアンコール・トム(大都城, 最初の建設は9世紀末)が増築された(世界遺産:アンコール遺跡)。アンコール朝では治水・灌漑の技術が発達し、その結果としての農業生産の増大がこの王朝の繁栄を支えた。
しかし13世紀後半に衰退に向かい、14世紀後半にタイのアユタヤ朝に圧迫されて領土を失った。
クメール人(カンボジア人)
クメール王朝(アンコール朝)はアンコール地方に都をおき、その領土はインドシナ半島の中部・南部のほぼ全域におよんだ。また神聖化された王権のもとで、王城やヒンドゥー教・仏教の大寺院がつぎつぎに建造された。12〜13世紀にでたスーリヤヴァルマン2世とジャヤーヴァルマン7世の時代が最盛期であり、前者によってアンコール・ワット(都城寺院)が建造され、後者によってアンコール・トム(大都城, 最初の建設は9世紀末)が増築された(世界遺産:アンコール遺跡)。アンコール朝では治水・灌漑の技術が発達し、その結果としての農業生産の増大がこの王朝の繁栄を支えた。
しかし13世紀後半に衰退に向かい、14世紀後半にタイのアユタヤ朝に圧迫されて領土を失った。
アジア諸地域の繁栄
清代の中国と隣接地域
清朝と東南アジア
四川・雲南地方にいたタイ人は、8世紀ころからしだいにインドシナ半島へ南下し、クメール人のカンボジア(真臘)に従属していたが、13世紀のモンゴル人による雲南地方への侵入でタイ人の南下がさらに活発となり、カンボジアが衰えるとこれを破って自立し、スコータイ朝(1257頃〜1438頃)をたてた。