達磨 (出生不明 378年頃〜528年頃)
南北朝時代の僧侶。菩提達磨。5世紀後半のインド出身といわれるが、詳しい出生は不明。
インド南部から広州へ入り、梁(南朝)の建康(現南京)に至るが、蕭衍と意見が合わず、北上して嵩山少林寺に入る。後進を育成し禅宗の初祖となった。過酷な修行で手足を失ったという伝説があり、ここから玩具・縁起物のダルマが生まれた。
達磨
9年間の壁観の座禅で中国禅宗の開祖となる
5世紀後半のインド出身といわれるが、詳しい出生は不明。正式名は菩提達磨。インド南部から広州へ入り、建康(現南京)に達した。当時の中国・南朝を支配していたのは梁の蕭衍。熱心な仏教徒である蕭衍は、達磨を喜んで迎え「私は多くの寺院を建立し、写経し、教団をつくったが、どんな功徳があるのか」と尋ねたが、達磨は「功徳はない」と言い切ったという。その後、北魏の洛陽へ赴いた達磨は、仏教が国家権力と結びついている状況を見て、厳しく批判した。
「(下心があればどんな行いにも)功徳はない」
その後は嵩山少林寺に入り、9年間壁に向かって座禅を行った。「壁観」といい、「壁のように動かずに真理を観ずる」という意味ももつ。弟子を育成し、禅宗の開祖となり、日本の仏教にも大きな影響を及ぼした。
「だるま」という起き上がりこぼしの玩具は、達磨が長期にわたる過酷な修行で手足が動かなくなった伝説に由来する。サンスクリット語にも「ダルマ」の語があるが、これは「正しい行い」の意味で別物。
禅宗とともに拳法を伝える
南北朝時代の僧侶。菩提達磨。インドまたはイランの出身で、はじめ南朝の宋に至るが、蕭衍と意見が合わず、北上して嵩山少林寺に入る。後進を育成し、禅宗の初祖となった。過酷な修行で手足を失ったという伝説があり、ここから玩具・縁起物のダルマが生まれた。
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