韓国併合
韓国併合 ©世界の歴史まっぷ

韓国併合


韓国併合( A.D.1910〜A.D.1945)

1910年8月の韓国併合条約で韓国を植民地とした。1909年の伊藤博文暗殺、韓国首相李完用襲撃事件が契機。以後憲兵・警察などによる強権的支配の武断政治が続き、1945年まで朝鮮総督府により同化主義政策などの植民地支配を行う。

韓国併合

韓国併合:1910年8月の韓国併合条約で韓国を植民地とした。1909年の伊藤博文暗殺、韓国首相李完用襲撃事件が契機となる。以後、憲兵・警察などによる強権的支配の武断政治(武力によって圧服させる政治)が続き、1945年まで朝鮮総督府により、同化(主義)政策などの植民地支配を行う。

韓国併合条約:1910年8月、漢城で統監寺内正毅てらうちまさたけと韓国首相李完用が調印、韓国の全統治権を日本に譲渡することを約した条約(韓国併合に関する条約)。韓国は廃され日本領朝鮮となる。

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近代国家の成立

日露戦争と国際関係

韓国併合

日朝関係年表

1894
(明治27年)
3甲午農民戦争(東学党の乱)
8日清戦争勃発
18954下関条約(清は朝鮮の独立を許可)
10閔妃殺害事件(公使館守備隊による閔妃殺害)
189710朝鮮、国号を大韓帝国(韓国)と改称
第1次桂内閣19042日露戦争勃発(〜05)
日韓議定書調印(日本は事実上必要な土地の収用など、便宜供与を約する)
8第1次日韓協約調印(日本政府推薦の財政・外交顧問の設置)
19057桂・タフト協定(米が日本の韓国保護国化を承認)
8第2次日英同盟協約(英が日本の韓国保護国化を承認)
9ポーツマス条約(露が韓国に対する日本の指導・保護・監理を承認)
11第2次日韓協約(日本が外交権を掌握して韓国を保護国化)
12漢城に統監府を設置
19062統監府開庁(初代統監:伊藤博文)
第1次西園寺内閣8義兵運動が本格化
19077ハーグ密使事件(韓国皇帝高宗の退位、純宗の即位)
第3次日韓協約(内政権を接収し韓国軍隊を解散)
8
義兵運動が本格化
第2次桂内閣190812東洋拓殖会社(東拓)設立
19097韓国併合を閣議決定
10伊藤博文暗殺事件安重根がハルビン駅頭で殺害)
19108韓国併合(韓国併合条約調印)。大韓帝国(韓国)を朝鮮と改称
9
土地調査事業の開始(〜18)
10朝鮮総督府の設置(初代朝鮮総督:寺内正毅)
19114土地収用例制定。
8朝鮮教育令(同化教育の推進)公布
19193三・一独立運動(パゴダ公園で独立宣言
19239
関東大震災(関東全域で「朝鮮人狩り」)
19254治安維持法を朝鮮・台湾・樺太に公布、5月施行・朝鮮神宮の創建
参考:山川 詳説日本史図録 第7版: 日B309準拠

日露戦争の勝利によって日本の大陸進出は本格化した。すでに日露戦争中の1904(明治37)年8月に日本は韓国と第1次日韓協約を結び、日本人顧問を派遣して韓国の財政と外交に介入した。翌1905年には、アメリカとの間に桂・タフト協定を取り交わし、日本の韓国、アメリカのフィリピンに対する指導権を相互に確認し合った。ついで戦後の1905(明治38)年11月には、第2次日韓協約韓国保護協約乙巳いっし保護条約)を結んで日本は韓国の外交権を握り、漢城(現ソウル)に韓国統監府をおき、伊藤博文が初代統監となって統監政治を始めた。こうして日本は韓国を保護国とした。

これに対して韓国は1907(明治40)年6月、ハーグの万国平和会談に皇帝の密使を送って抗議したが、入れられなかった(ハーグ密使事件)。日本政府はこの事件をきっかけに、同年7月、韓国皇帝を退位させ、第3次日韓協約を結んで、その内政権を奪い、韓国の軍隊を解散させた。韓国内にはこれに反対して反日武装闘争の気運が活発化し、解散された軍隊も加わり義兵運動が高まったが、日本は軍隊を出動させてその鎖圧にあたった。1909(明治42)年10月、伊藤がハルビンで韓国の民族運動家安重根あんじゅうこん(アンチュングン 1879〜1910)に暗殺されると(伊藤博文暗殺事件)、日本は翌1910(明治43)年8月、ついに韓国併合を強行して韓国を植民地とし、その名称を朝鮮に、漢城を京城と改めて天皇直属の朝鮮総督府をおいてその統治にあたった。

朝鮮総督には武官が任命され、そのもとで総督府は地税の整理土地調査事業を進め、1918(大正7)年に完了した。その結果、日本人地主の土地所有が拡大した反面、朝鮮の小農民で没落する者が多くなり、その一部の人々は仕事を求めて日本に移住した。

1908(明治41)年に韓国の拓殖事業を推進するための国策会社として東洋拓殖会社が設立され、農業経営や灌漑・金融事業を行った。また、日清戦争後から日本の手によって建設が進められていた京釜鉄道けいふてつどう(京城・釜山間)が1905(明治38)年に完成し、産業の発展と軍事輸送に大きな役割を果たした。

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