イリ条約
A.D.1881〜
清統治下の新疆でイスラーム教徒が反乱をおこすと、ロシアはこの戦乱を利用してイリを占領。清朝の撤退要求を無視し対立した(1871〜81, イリ事件)。1881年イリ条約が結ばれ、ロシアに新疆での通商権を認めるかわりに、イリ地方は清朝に返還された。
イリ条約
- イリ事件:1871〜81 ロシアが新疆のイリを占領し、清朝と対立した事件。清統治下の新疆でイスラーム教徒が反乱をおこすと、ロシアはこの戦乱を利用してイリを占領。清朝の撤退要求を無視した。
- イリ条約:1881 イリ事件のとき、ロシアと清が結んだ条約。清は英・仏の仲介でロシアとペテルブルクで条約を結んだ。この条約により清はイリ地区の大半を取り戻し、ロシアは通商上の特権を得た。
アジア諸地域の動揺
東アジアの激動
ロシアの東方進出
ロシアの東方進出
1689 | ネルチンスク条約 | ピョートル1世(露) | 康熙帝(清) |
1727 | キャフタ条約 | ピョートル2世(露) | 雍正帝(清) |
1828 | トルコマンチャーイ条約 | ニコライ1世(露) | ファトフ・アリー・シャー(カージャール朝) |
1858 | アイグン条約 | ニコライ1世(露) | 咸豊帝(清) |
1860 | 露清北京条約 | アレクサンドル2世(露) | 咸豊帝(清) |
1881 | イリ条約 | アレクサンドル2世(露) | 光緒帝(清) |
ロシアは、清朝に対する新疆(東トルキスタン)=イスラーム教徒の反乱 ❷ (1864〜78)を機に、居留民保護を名目として、1871年にイリ地方を占領した。反乱は、欽差大臣 ❸ として清軍の指揮をとった左宗棠(1812〜85)の奮闘などにより鎮圧されたが、反乱終結後もロシアは同地方から撤兵しなかったため、露清間の紛争となった(イリ事件)。この紛争は結局、ロシアに対しても強い姿勢で臨んだ左宗棠の努力がみのり、1881年イリ条約が結ばれ、ロシアに新疆での通商権を認めるかわりに、イリ地方は清朝に返還された。
❷ イスラーム教徒の反乱:反乱の中でもっとも有力な勢力となったヤクブ=ベク Ya’qub Beg (1820頃〜77)の政権は、一時新疆のほぼ全域を制圧するにいたった。
❸ 欽差大臣:非常時に皇帝によって任命される、一時的に大権をゆだねられた特命大臣。