クシュ王国 Kush(紀元前 B.C.920〜A.D.350)
エジプト新王国の滅亡後、ヌビア(現在のエジプト南部からスーダン)にヌビア人が建てた王国。ナパタを都に独立した後、前8世紀にエジプトへ進出してテーベを都にエジプト第25王朝を建てたが、アッシリアの攻撃を受けてヌビアに戻った。前670年頃にメロエに遷都した。
クシュ王国
エジプト新王国の滅亡後、ヌビア(現在のエジプト南部からスーダン)にヌビア人が建てた王国。ナパタを都に独立した後、前8世紀にエジプトへ進出してテーベを都にエジプト第25王朝を建てたが、アッシリアの攻撃を受けてヌビアに戻った。前670年頃にメロエに遷都した。
イスラーム世界の形成と発展
インド・東南アジア・アフリカのイスラーム化
アフリカのイスラーム化
ナイル川上流のスーダンには、紀元前10世紀ころにクシュ王国(紀元前920〜350)が成立し、紀元前8世紀には一時エジプトを支配するほどの勢いを示したが、アッシリアの侵入(紀元前667)によってナイル川上流域に後退した。これ以降メロエに都をおいた時代(紀元前670頃〜350頃)に、王朝は鉄器の製造とエジプトとの通商によって栄え、メロエ文字(未解読)を用いた。しかし4世紀になると、エチオピアに興ったアクスム王国(紀元前後〜9世紀)に滅ぼされた。西アフリカのガーナ王国(7世紀頃〜1150)は、金を豊富に産することで知られていた。ムスリム商人は、サハラ砂漠の塩床から切り出した岩塩をもってガーナにいたり、これを金と交換してイスラーム世界にもたらした。この交易によって王国は繁栄を続けたが、1076/1077年、モロッコのムラービト朝の攻撃を受けて衰退した。
オリエントと地中海世界
古代オリエント世界
エジプト統一王国の形成と展開
エジプト末期王朝時代
第22〜24王朝はリビア人、第25王朝はヌビア出身のクシュ人のたてた王朝である(エジプト第3中間期)。紀元前7世紀の前半にはアッシリア軍がくりかえし侵入し、エジプトを支配下においた。その後、第26王朝のもとで一時エジプト人の独立が回復されたが、紀元前525年にはアケメネス朝によって征服され、その1州となった。さらに紀元前332年にはアレクサンドロス3世の征服を受け、ここに古代エジプト王国の歴史はその幕を閉じたのである。
クシュ人
ついに4世紀前半に後者の攻撃を受けて滅亡した。アフリカ奥地やインド洋とエジプトを結ぶ交易の中継地として繁栄し、エジプトから学んだ製鉄技術をさらに奥地の黒人アフリカ社会に伝えた。ナパタやメロエには、現在でも神殿やピラミッドの遺跡が残り、このアフリカ最古の黒人王国が到達した文化の高さを示している。
年表
- 紀元前3100年頃から紀元前2890年頃
- 最初の発達した社会がエジプト第1王朝のころヌビアに現れる。
- 紀元前2600年ごろ
- ケルマ王国ヌビアの全てとエジプトの一部を支配。
- 紀元前2500年ごろ
- エジプトが南に移動し始める。
- 紀元前1500年ごろ
- エジプト新王国第18王朝トトメス1世の支配下におかれ「植民地化」される。
- 紀元前11世紀
- エジプト第3中間期の内部抗争により「植民地」支配が崩壊し、ヌビアの ナパタに本拠地を置いた王国の独立運動が起こる。
- 紀元前747年
- 上下エジプトを征服し、 エジプト第25王朝(ヌビア期)を建国する。(エジプト末期王朝時代)
- 紀元前671年
- アッシリア侵攻によりエジプトから撤退。(ナパタ王国)
- 紀元前591年ごろ
- ナパタからメロエに遷都(メロエ王国)
- 350年ごろ
- アビシニア高原(エチオピア高原)に興ったアクスム王国の侵攻を受けて滅亡した。旧首都ナパタが滅ぼされた後王の唯一の居住地となった。都市の様子は今もメロエ遺跡として残存しており、堤防、宮殿、アメン神殿跡などが見られる。
世界遺産「メロエ島の考古遺跡群」
ヌビアのピラミッドはナイル川流域の「ヌビア」地域に栄えたクシュ文明の遺跡。エジプトのピラミッドの影響を受けている。現代ではスーダン領となっているヌビア地域では古代に3つのクシュ文明が栄えた。最初はケルマに都し(紀元前2600-紀元前1520)、つぎにナパタ(紀元前1000-紀元前300)、最後にメロエを都とする王国 (紀元前300–300) が成立した。
「メロエ島の考古遺跡群」として2011年、世界遺産(文化遺産)に登録される。