テトラルキア (四帝分治制)( A.D.293〜A.D.324)
ローマ帝国ディオクレティアヌスが新たに導入した、広大な帝国を効率よく統治するために2人の正帝(アウグストゥス)・2人の副帝(カエサル)をおき、4人の分担統治をいう。
テトラルキア
テトラルキア 各皇帝の担当領域
テトラルキアの皇帝一覧
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ローマ帝国テトラルキア時代皇帝一覧
西方 | 東方 | ||||
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正帝(皇帝) | 副帝 | 首都長官 | 正帝(皇帝) | 副帝 | |
285年 - 293年 | マクシミアヌス (オキシデント) 285年–305年 | ディオクレティアヌス (オリエント) 285年–305年 | |||
293年 - 305年 | コンスタンティウス・クロルス (ガリア、ヒスパニア) 293年–305年 | ガレリウス (イリュリクム) 293年–305年 |
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305年 - 306年 | コンスタンティウス・クロルス (ガリア、ヒスパニア、ブリタンニア) 305年–306年 | フラウィウス・ウァレリウス・セウェルス (イタリア本土、アフリカ) 305年–306年 | ガレリウス (イリュリクム) 305年–311年 | マクシミヌス・ダイア (オリエント) 305年–307年 |
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306年 - 307年 | フラウィウス・ウァレリウス・セウェルス (イタリア本土、アフリカ) 306年–307年 | コンスタンティヌス1世 (ガリア、ヒスパニア、ブリタニア) 306年–307年 | マクセンティウス (ローマ) 307年 |
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307年 - 313年 | コンスタンティヌス1世 (ガリア、ヒスパニア、ブリタニア) 307年 | ||||
マクセンティウス (イタリア) 307年–312年 | リキニウス (トラキア、ポントゥス) 308年 | ||||
マクシミアヌス (イタリア) 307年–310年 | マクシミヌス・ダイア (オリエント) 310年–313年 | マクシミヌス・ダイア (オリエント) 307年–310年 |
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313年 - 324年 | コンスタンティヌス1世 (オキシデント) 313年–324年 | バシアヌス (イタリア) 313年–314年 | リキニウス (オリエント) 313年–324年 | ウァレリウス・バレンス (イリュリクム) 314–316年 |
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クリスプス (オキシデント) 317年–326年 | マルティニアヌス (オリエント) 324年 | 小リキニウス (オリエント) 317年–324年 |
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324年 | コンスタンティヌス1世 |
参考 Wikipedia
オリエントと地中海世界
ローマ世界
専制ローマ帝国
ディオクレティアヌス帝は、ユピテル神の体現者として統治し、皇帝の神的権威を強めた。市民は今や皇帝の臣民であり、皇帝の前に出るときは跪拝礼を求められ、元老院の諮問会議も皇帝のまえで起立したままおこなわれた。ディオクレティアヌス帝はこのようにオリエント的専制支配に傾いていき、彼の時代以後は専制君主制(ドミナートゥス)と呼ばれる。彼は広大な帝国を効率よく統治するために2人の正帝・2人の副帝をおく四分統治世(テトラルキア)を採用し、帝国の行政区分をも再編成した。
専制ローマ帝国 – 世界の歴史まっぷ