トマス=ジェファソン Thomas Jefferson( A.D.1743〜A.D.1826)
第3代大統領(在任1801〜1809)。独立宣言を起草。ヴァージニアの大農園出身で1800年に反連邦派の候補として大統領に当選。自営農民を基礎とする民主主義を理想とし、工業育成には消極的であった。領土面ではフランスからルイジアナを購入した。
トマス=ジェファソン
独立宣言を起草した政治家。ヴァージニアの大農園出身で、合衆国成立後は反連邦派の立場をとり、第3代大統領(在任1801〜1809)としてフランスからミシシッピ川以西のルイジアナを購入した。
合衆国建国期の政治家、第3代大統領(在任1801〜1809)。独立宣言起草の中心として貢献したのち、1800年に反連邦派の候補として大統領に当選した。自営農民を基礎とする民主主義を理想とし、工業育成には消極的であった。領土面ではフランスからルイジアナを購入した。
欧米における近代社会の成長
アメリカ独立革命
アメリカ合衆国憲法の制定
1787年、合衆国憲法草案が発表された。この憲法草案は各邦で召集された憲法批准会議で審議され、1788年6月ニューハンプシャーの第9番目の批准で発効した。
合衆国憲法は、連邦制をとり、権限を連邦(中央)政府と各州政府に配分している。連邦政府は、宣戦などを含めた外交権、外国との貿易および州際通商の統制、課税権、常備軍の保有などの権限を認められ、連合規約より強力な中央政府がつくられた。中央政府は三権分立の原則のうえにたっていた。行政府は選挙で選ばれる大統領を中心に組織され、立法府は人口に比例して各州から選出される議員からなる下院と、各州2名の議員からなる上院で構成され、司法府は連邦最高裁判所とその下位の連邦裁判所からなり、違憲審査権を有している。三権はそれぞれの権限で他を牽制できるようになっていた。
批准にあたっては、連邦政府の強力な権限を支持するアレクサンダー・ハミルトン(1755〜1804)ら「連邦派」と、中央政府の強い権力に反対するトマス=ジェファソンら「反連邦派」の対立がみられた。また憲法に基本的人権を保証する条項がないことから、1791年、修正条項10ヶ条がつけ加えられた。
欧米における近代国民国家の発展
アメリカ合衆国の発展
民主主義の発展
アメリカ合衆国では18世紀後半の憲法制定過程において、連邦国家の権限に関する対立は連邦派(フェデラリスト)と反連邦派(リパブリカン)の二大政治勢力を生みだした。ワシントン大統領の財務長官であったハミルトン Hamilton (1757〜1804)ら連邦派は、連邦国家の権限強化を主張し、一方トマス=ジェファソンらの反連邦派は、州の権限の確保を優先した。両派は1800年の大統領選挙で激しく対立した。結局ジェファソンが大統領に就任(任1801〜09)することになって反連邦派が政治的に勝利したが、この事件は政権の交代が選挙によって平和的に実現した世界最初の事例であったので、「1800年の革命」と呼ばれている。
領土の拡張
19世紀に入ってナポレオン1世がハイチの独立運動の鎮圧に関連して戦費の調達に苦しんだとき、アメリカにルイジアナの売却を打診してきた。当時のジェファソン大統領はこれをうけ、1803年買収した。また18年にはイギリスからレッド川盆地を獲得し、さらに19年スペインからフロリダを買収して、領土を着実に増大させていった。ルイジアナ購入以来アメリカ人はメキシコとの国境を無視してさかんにテキサスに入植した。この入植を排除しようとするメキシコ軍と衝突した有名な事件がアラモ砦の戦いで、メキシコ兵1544名を殺しながら砦にたてこもった187名全員が玉砕した。