癸酉靖難 (ケユジョンナン)
1453年、朝鮮王朝第5代王・文宗(ムンジョン)の弟・首陽大君(スヤンテグン)が、王権簒奪を目論み、文宗の死後、幼くして即位した第6代王・端宗(タンジョン)を支える重臣金宗瑞をはじめ、自らの政敵を一挙に殺害し、政権を掌握したクーデター事件。その後、首陽大君は、1455年に端宗の譲位を受け、第7代王・世祖(セジョ)として即位した。
癸酉靖難
概要
癸酉靖難 きゆうせいなん 1453年朝鮮王朝第5代王・文宗の弟・首陽大君が王権簒奪を目論み文宗の死後幼くして即位した第6代王・端宗を支える重臣金宗瑞をはじめ、自らの政敵を一挙に殺害し政権を掌握したクーデター事件。その後首陽大君は1455年に端宗の譲位を受け第7代王・世祖として即位した。
- 世宗(李裪)の長男であり後継者の文宗(李珦)が即位2年余りで病死する
- 世子の弘暐(のちの端宗)が11歳で即位する。
- 世宗の次男・首陽大君(しゅようだいくん)を中心とする勢力と、世宗の三男・安平大君(あんへいだいくん)を後ろ盾に首陽大君の勢力拡大を阻止する勢力が争う。
- 1453年10月10日深夜、首陽大君は、政敵・金宗瑞(きんそうずい)を自宅に訪ねてその場で惨殺、同時に首陽大君の部下たちが宮廷に大臣たちを招集して、皇甫仁ら主要な大臣たちを一挙に殺害。黒幕だった安平大君は江華島に配流後、賜薬(死薬)をもって殺害するというクーデターを起こす。
- 政権を掌握した首陽大君は、クーデターに参加した功臣たちを登用し(これらの功臣たちは、後に勲旧派と呼ばれるようになる)、「靖難」に不満を持つ王族や国王を補佐する臣下を圧迫したので、1455年閏6月に、端宗は譲位して自らは上王となり、首陽大君が第7代国王(世祖)として即位した。
端宗復位事件
事件から1年半後の1456年6月に「端宗復位事件」が発覚し、成三問・朴彭年ら、のちに「死六臣(しろくしん)」と呼ばれる文臣たちが処刑される。
明において、当時上皇であった英宗(朱祁鎮)が重祚(ちょうそ)した奪門の変(だつもんのへん)が起こった1457年6月には上王端宗も魯山君に降格のうえ、その4か月後に配流先で賜薬を下され17歳という若さで賜死された(死後、端宗が正式に王位を回復されるのは第19代国王粛宗の時代になってから)。この時、端宗復位のために謀反を起こして既に配流されていた第4代王・世宗(李裪)の六男の錦城大君もほぼ同時に配流先で賜死されている。
癸酉靖難が登場する作品
女王の男
DVD
李氏朝鮮歴代王
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李氏朝鮮国王一覧
姓・諱 | 廟号 | 日本読み | 朝鮮読み | 在位開始 | 在位終了 | 作品 | 党派 | 乱 | 父 | 母 | 封号 | ||||||||
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李氏朝鮮 | 第1 | 李成桂 | 太祖 | たいそ | 1393 | 1398 | 勲旧派 | 李子春 | 永興崔氏 | 権知高麗国事 | |||||||||
第2 | 李芳果 | 定宗 | ていそう | チョンジョン | 1398 | 1400 | 太祖 | 神懿王后 | 次男 | ||||||||||
第3 | 李芳遠 | 太宗 | たいそう | テジョン | 1400 | 1401 | 太祖 | 神懿王后 | 五男 | ||||||||||
1401 | 1418 | 朝鮮国王 | |||||||||||||||||
第4 | 李裪 | 世宗 | せいそう | セジョン | 1418 | 1450 | 太宗 | 元敬王后・閔氏 | 三男 | ||||||||||
第5 | 李珦 | 文宗 | ぶんそう | ムンジョン | 1450 | 1452 | 王女の男 | 世宗 | 昭憲王后・沈氏 | 長男 | |||||||||
第6 | 李弘暐 | 端宗 | たんそう | タンジョン | 1452 | 1455 | 癸酉靖難 | 文宗 | 顕徳王后・權氏 | ||||||||||
第7 | 李瑈 | 世祖 | せいそ | セジョ | 1455 | 1468 | 李施愛の乱 | 世宗 | 昭憲王后・沈氏 | 次男 | |||||||||
第8 | 李晄 | 睿宗 | えいそう | イェジョン | 1468 | 1469 | 世祖 | 貞熹王后・尹氏 | 次男 | ||||||||||
第9 | 李娎 | 成宗 | せいそう | ソンジョン | 1469 | 1494 | 士林派 | 世祖の長男・懿敬世子 | 仁粋大妃 | 次男 | |||||||||
第10 | 李㦕 | 燕山君 | えんざんくん | ヨンサングン | 1494 | 1506 | 戊午士禍 甲子士禍 中宗反正 | 成宗 | 廃妃・尹氏 | 長男 | |||||||||
第11 | 李懌 | 中宗 | ちゅうそう | チュンジュン | 1506 | 1544 | 己卯士禍 | 成宗の次男 | 貞顕王后・尹氏 | ||||||||||
第12 | 李峼 | 仁宗 | じんそう | インジョン | 1544 | 1545 | 中宗 | 章敬王后・尹氏 | 長男 | ||||||||||
第13 | 李峘 | 明宗 | めいそう | ミョンジョン | 1545 | 1567 | 乙巳士禍 | 中宗 | 文定王后 | 次男 | |||||||||
第14 | 李昖 | 宣祖 | せんそ | ソンジョ | 1567 | 1608 | 西人 | 東人 | 文禄・慶長の役 | 中宗の三男・徳興大院君 | 河東府大夫人鄭氏 | 長男 | |||||||
第15 | 李琿 | 光海君 | こうかいくん | クァンヘグン | 1608 | 1623 | 南人 | 北人 | 宣祖 | 恭嬪金氏 | 次男 | ||||||||
第16 | 李倧 | 仁祖 | じんそ | インジョ | 1623 | 1649 | 小北 | 大北 | 宣祖の五男・定遠君(庶子) | 仁献王后 | 長男 | ||||||||
第17 | 李淏 | 孝宗 | こうそう | ヒョジュン | 1649 | 1659 | 仁祖 | ||||||||||||
第18 | 李棩 | 顕宗 | けんそう | ヒョンジョン | 1659 | 1673 | 西人粛清 | 孝宗 | 仁宣王后 | 長男 | |||||||||
第19 | 李焞 | 粛宗 | しゅくそう | スクチョン | 1674 | 1720 | トンイ | 老論 | 少論 | 甲寅礼訴 庚申換局 | 顕宗 | 明聖王后 | 長男 | ||||||
第20 | 李昀 | 景宗 | けいそう | キョンジョン | 1720 | 1724 | 辛壬士禍 | 粛宗 | 禧嬪張氏 | 長男(庶子) | |||||||||
第21 | 李昑 | 英祖 | えいそ | ヨンジョ | 1724 | 1776 | イ・サン | 僻派 | 時派 | 壬午士禍 | 粛宗 | 淑嬪崔氏 | 次男(庶子) | ||||||
第22 | 李祘 | 正祖 | せいそ | チョンジョ | 1776 | 1800 | 功西 | 信西 | 辛酉教獄 | 英祖の次男・荘献世子 | 恵慶宮洪氏 | 次男 | |||||||
第23 | 李玜 | 純祖 | じゅんそ | スンジョ | 1800 | 1834 | 僻派 | 勢道政治 (安東金氏) | 正祖 | 綏嬪朴氏 | 次男 | ||||||||
第24 | 李奐 | 憲宗 | けんそう | ホンジョン | 1834 | 1849 | 純祖の長男・孝明世子 | 神貞王后 | 長男 | ||||||||||
第25 | 李昪 | 哲宗 | てっそう | チョルジュン | 1849 | 1863 | 正祖の弟・恩彦君の子・恩彦君 | 龍城府大夫人廉氏 | 三男 | ||||||||||
第26 | 李熙 | 高宗 | こうそう | コジュン | 1863 | 1897 | 明成皇后 | 江華島事件 壬午事変 甲申政変 東学党の乱 乙未事変 | 英祖の次男・荘献世子の三男・恩信君 の養子・南延君の四男・興宣大院君 | 驪興府大夫人閔氏 | 次男 | ||||||||
大韓帝国 | 高宗 | 1897 | 1907 | 第1代皇帝 | |||||||||||||||
第27 | 李坧 | 純宗 | じゅんそう | スンジュン | 1907 | 1910 | 高宗 | 明成皇后閔氏 | 長男 | 第2代皇帝 |