粛宗(朝鮮) (しゅくそう、スクチョン)
李氏朝鮮第19代王。第20代王・景宗、第21代王・英祖の父。
粛宗(朝鮮)
王朝 李氏朝鮮
在位期間 1674年 – 1720年
姓・諱 李焞
字 明普
諡号 肅宗顯義光倫睿聖英烈裕謨永運洪仁峻德配天合道啓休篤慶正中恊極神毅大勳章文憲武敬明元孝大王
廟号 粛宗
生年 1661年9月8日
没年 1720年7月13日
父 顕宗(第一王子)
母 明聖王后
后妃 仁敬王后(金万基の娘)、仁顕王后(閔維重の娘)、仁元王后(金柱臣の娘)
陵墓 明陵(ミョンルン) (西五陵) 史跡第198号 京畿道 高陽市 徳陽区 西五陵路 334-92
換局(ファングク)
14歳で即位したが、垂簾聴政を受けず、直接国を統治した。
在位中、南人と西人の党派対立が激しくなる中、建国300年にして初めて、王権を確立した絶対君主。
- 1680年(粛宗6年) 庚申換局
- 南人を大量に追放した庚申換局を契機に南人政権は崩壊し、西人が政権を掌握するが、西人は老論と少論に分裂し対立するようになる。
- 1689年(粛宗15年) 己巳換局
- 粛宗は西人が提起した元子問題を口実に西人を失脚させる一方、南人を再び重用する。
- 1694年(粛宗20年) 甲戌換局
- 粛宗は張氏を禧嬪に冊封し(禧嬪張氏(ヒビン チャンシ))、後に王后の座に上げたが、張氏の挙動が非常に野放図だったので、粛宗はこれに対抗して仁顕王后を復位させ、南人を退出させ、西人が再び政権を執ることになる。
- 1727年(英祖3年)
- 英祖は党派心が非常に強い者らを排除するために蕩平策(党派間の政治勢力の均衡をはかった政策)を推進する。これを契機に、西人から分派した少論は失脚するが、また別の西人である老論はそのまま政権を執る。
功績
- 文禄・慶長の役と丙子の役以後、混乱から脱け出すことができなかった社会を全般的に収め、整備して安定期を謳歌する政治功績を残す。
- 1712年 白頭山山頂に定界碑を立て、清との国境を定めた。
- 竹島一件で、日本人の竹島(現在の鬱陵島)への立ち入り禁止を保証させた。
- 倭銀使用条例を定め、倭館貿易を整備する。
- 死六臣の名誉回復
- 王位剥奪され亡くなった魯山君の復位、端宗という諡号を贈る。
- 廃庶人となった昭顕世子嬪姜氏(粛宗の祖父孝宗の兄・昭顕世子の妃)を愍懐嬪に復位。
粛宗が登場する作品
トンイ
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李氏朝鮮歴代王一覧
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李氏朝鮮国王一覧
姓・諱 | 廟号 | 日本読み | 朝鮮読み | 在位開始 | 在位終了 | 作品 | 党派 | 乱 | 父 | 母 | 封号 | ||||||||
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李氏朝鮮 | 第1 | 李成桂 | 太祖 | たいそ | 1393 | 1398 | 勲旧派 | 李子春 | 永興崔氏 | 権知高麗国事 | |||||||||
第2 | 李芳果 | 定宗 | ていそう | チョンジョン | 1398 | 1400 | 太祖 | 神懿王后 | 次男 | ||||||||||
第3 | 李芳遠 | 太宗 | たいそう | テジョン | 1400 | 1401 | 太祖 | 神懿王后 | 五男 | ||||||||||
1401 | 1418 | 朝鮮国王 | |||||||||||||||||
第4 | 李裪 | 世宗 | せいそう | セジョン | 1418 | 1450 | 太宗 | 元敬王后・閔氏 | 三男 | ||||||||||
第5 | 李珦 | 文宗 | ぶんそう | ムンジョン | 1450 | 1452 | 王女の男 | 世宗 | 昭憲王后・沈氏 | 長男 | |||||||||
第6 | 李弘暐 | 端宗 | たんそう | タンジョン | 1452 | 1455 | 癸酉靖難 | 文宗 | 顕徳王后・權氏 | ||||||||||
第7 | 李瑈 | 世祖 | せいそ | セジョ | 1455 | 1468 | 李施愛の乱 | 世宗 | 昭憲王后・沈氏 | 次男 | |||||||||
第8 | 李晄 | 睿宗 | えいそう | イェジョン | 1468 | 1469 | 世祖 | 貞熹王后・尹氏 | 次男 | ||||||||||
第9 | 李娎 | 成宗 | せいそう | ソンジョン | 1469 | 1494 | 士林派 | 世祖の長男・懿敬世子 | 仁粋大妃 | 次男 | |||||||||
第10 | 李㦕 | 燕山君 | えんざんくん | ヨンサングン | 1494 | 1506 | 戊午士禍 甲子士禍 中宗反正 | 成宗 | 廃妃・尹氏 | 長男 | |||||||||
第11 | 李懌 | 中宗 | ちゅうそう | チュンジュン | 1506 | 1544 | 己卯士禍 | 成宗の次男 | 貞顕王后・尹氏 | ||||||||||
第12 | 李峼 | 仁宗 | じんそう | インジョン | 1544 | 1545 | 中宗 | 章敬王后・尹氏 | 長男 | ||||||||||
第13 | 李峘 | 明宗 | めいそう | ミョンジョン | 1545 | 1567 | 乙巳士禍 | 中宗 | 文定王后 | 次男 | |||||||||
第14 | 李昖 | 宣祖 | せんそ | ソンジョ | 1567 | 1608 | 西人 | 東人 | 文禄・慶長の役 | 中宗の三男・徳興大院君 | 河東府大夫人鄭氏 | 長男 | |||||||
第15 | 李琿 | 光海君 | こうかいくん | クァンヘグン | 1608 | 1623 | 南人 | 北人 | 宣祖 | 恭嬪金氏 | 次男 | ||||||||
第16 | 李倧 | 仁祖 | じんそ | インジョ | 1623 | 1649 | 小北 | 大北 | 宣祖の五男・定遠君(庶子) | 仁献王后 | 長男 | ||||||||
第17 | 李淏 | 孝宗 | こうそう | ヒョジュン | 1649 | 1659 | 仁祖 | ||||||||||||
第18 | 李棩 | 顕宗 | けんそう | ヒョンジョン | 1659 | 1673 | 西人粛清 | 孝宗 | 仁宣王后 | 長男 | |||||||||
第19 | 李焞 | 粛宗 | しゅくそう | スクチョン | 1674 | 1720 | トンイ | 老論 | 少論 | 甲寅礼訴 庚申換局 | 顕宗 | 明聖王后 | 長男 | ||||||
第20 | 李昀 | 景宗 | けいそう | キョンジョン | 1720 | 1724 | 辛壬士禍 | 粛宗 | 禧嬪張氏 | 長男(庶子) | |||||||||
第21 | 李昑 | 英祖 | えいそ | ヨンジョ | 1724 | 1776 | イ・サン | 僻派 | 時派 | 壬午士禍 | 粛宗 | 淑嬪崔氏 | 次男(庶子) | ||||||
第22 | 李祘 | 正祖 | せいそ | チョンジョ | 1776 | 1800 | 功西 | 信西 | 辛酉教獄 | 英祖の次男・荘献世子 | 恵慶宮洪氏 | 次男 | |||||||
第23 | 李玜 | 純祖 | じゅんそ | スンジョ | 1800 | 1834 | 僻派 | 勢道政治 (安東金氏) | 正祖 | 綏嬪朴氏 | 次男 | ||||||||
第24 | 李奐 | 憲宗 | けんそう | ホンジョン | 1834 | 1849 | 純祖の長男・孝明世子 | 神貞王后 | 長男 | ||||||||||
第25 | 李昪 | 哲宗 | てっそう | チョルジュン | 1849 | 1863 | 正祖の弟・恩彦君の子・恩彦君 | 龍城府大夫人廉氏 | 三男 | ||||||||||
第26 | 李熙 | 高宗 | こうそう | コジュン | 1863 | 1897 | 明成皇后 | 江華島事件 壬午事変 甲申政変 東学党の乱 乙未事変 | 英祖の次男・荘献世子の三男・恩信君 の養子・南延君の四男・興宣大院君 | 驪興府大夫人閔氏 | 次男 | ||||||||
大韓帝国 | 高宗 | 1897 | 1907 | 第1代皇帝 | |||||||||||||||
第27 | 李坧 | 純宗 | じゅんそう | スンジュン | 1907 | 1910 | 高宗 | 明成皇后閔氏 | 長男 | 第2代皇帝 |