飛鳥寺 (596年)
奈良県高市郡明日香村飛鳥所在。蘇我氏の氏寺。日本最古の寺。
真言宗豊山派に属する。安居院、本元興寺ともいう。
もと法興寺、元興寺ともいわれ、平城京に移築後は本元興寺として残ったが、建久7(1196)年、塔の焼失後は急速に衰えた。現在は創建当初の釈迦像(飛鳥大仏)を安置する安居院が存続する。飛鳥寺は蘇我馬子が崇峻1(588)年に発願して造営。推古1(593)年には塔に仏舎利が奉安され、同 14年に止利仏師(鞍作止利)作といわれる丈六の釈迦如来像が安置された。近年、飛鳥寺跡の発掘調査の結果、南北中軸線上に南から南門、中門、塔、金堂、講堂が位置し、塔の東西にも金堂を配し、中門から回廊が延びて塔と3金堂を包んでいたことが明らかになった。このような配置を飛鳥寺式伽藍配置と呼んでいる。
参考 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
飛鳥寺
律令国家の形成
飛鳥文化
推古朝を中心とする時代の文化を、当時の宮の所在地を冠して飛鳥文化と呼んでいる。
飛鳥文化の特色は、当初は渡来人や蘇我氏など限られた人々によって信仰されていた仏教が、国家の保護を受けるようになって広く浸透し、最初の仏教文化と称すべき状況にいたった点に求められよう。
594(推古天皇2)年には仏教興隆の詔が出され、仏教が政治の基本に捉えられた。
仏教の普及に大きく寄与したのは、蘇我氏と厩戸王(聖徳太子)とであった。厩戸王は、自ら「三経の義疏」という、法華経・維摩経・勝鬘経の三つの経典の注釈書を著したと伝えられるなど、仏教に対して深い理解をもっていたとされる。
大王家や諸豪族は、古墳に変わってその権威を示し、氏の政治的結集の場とするために、きそって氏寺を建立した。
蘇我馬子が発願し、朝廷の保護を受け、588年に建立が始まった飛鳥の飛鳥寺(法興寺)、厩戸王の発願によると伝えられ、593年に建立された難波の四天王寺や、607年に建立された斑鳩の斑鳩寺(法隆寺)、秦河勝の発願により603年に建立された山背の広隆寺などがその代表的な例である。
その他、飛鳥をはじめとする全国各地に、礎石の上に丹塗りの巨大な柱をおき、屋根を瓦で葺いた、これまでの倭国の建築様式とはかけ離れた規模と様式をもつ寺院が、続々と建立された。
そして639(舒明天皇11)年には、百済大寺の造営が始まった。これは大王が造営した初めての寺院として、大きな意義を持つ。
参考
寺院データ
- 所在地 奈良県高市郡明日香村飛鳥682
- 位置 北緯34度28分43.14秒 東経135度49分12.64秒
- 山号 鳥形山
- 宗派 真言宗豊山派
- 本尊 釈迦如来(飛鳥大仏、重要文化財)
- 創建年 596年
- 開基 蘇我馬子
- 正式名 鳥形山 安居院(現在の公称)
- 別称 法興寺、元興寺(共に旧法号)
- 札所等 新西国三十三箇所9番 聖徳太子霊跡11番
- 文化財 銅造釈迦如来坐像(重要文化財)
参考 Wikipedia