イギリス絶対王政の確立と社会
中世末のイギリスでは百年戦争、バラ戦争によって由緒正しい封建貴族の多くが没落し、かわって騎士階層や商人・富農などからでたジェントリと呼ばれる地主階級が勢力を強めた。以後イギリス社会では、ジェントリと貴族が共にジェントルマンと呼ばれ、政治・社会・文化などあらゆる面で主導権を握るようになる。
イギリス絶対王政の確立と社会
中世末のイギリスでは、フランスとの百年戦争( ヴァロワ朝の成立と前期百年戦争)と、つづいておこった大きな内乱であるバラ戦争( バラ戦争とイギリスの集権化)によって、由緒正しい封建貴族の多くが没落した。これにかわって、騎士階層や商人・富農などからでたジェントリ gentry と呼ばれる地主階級が勢力を強めた。
バラ戦争の混乱を収拾して登場したテューダー朝のヘンリー7世(イングランド王)(位1485〜1509)( バラ戦争とイギリスの集権化)は、星室庁裁判所を改組して治安の維持に努めるなど、絶対王政の傾向を強めた。その際、彼は官僚としてジェントリを重用して、封建貴族を牽制した。以後のイギリス社会では、ジェントリと貴族が共にジェントルマン gentleman と呼ばれ、政治・社会・文化などあらゆる面で主導権を握るようになる。
中央の議会では、貴族が貴族院(上院)、主としてジェントリの代表が選挙で選ばれて庶民院(下院)を構成し、地方の政治も貴族や治安判事などに任命されたジェントリが牛耳ることになった。このようなジェントルマンの権威は、少なくとも産業革命までは変わることがなかった。
次のヘンリー8世(イングランド王)(位1509〜1547)( イギリス国教会の成立)は、この方向をさらに推し進め、イギリスに絶対王政を確立した。すなわちヘンリー8世は、離婚問題で教皇と対立すると、1534年に国王至上法を成立させてローマ教皇庁と断絶した。そのうえでみずからイギリス国教会の首長となり、イギリスにおける宗教改革を進めた。
この結果、十分の一税や初収入税など、教会関係の税収はローマに上納されるのではなく、イギリス国王の手におさめられることになった。そのうえ彼は、イギリス全土に膨大な土地を所有した修道院を解体してその所有を没収し、王室財政を一挙に強化した( イギリス国教会の成立)。これが絶対王政の確立に決定的な意味をもった。イギリスの宗教改革は、教皇からイギリスの教会に関する一切の法的権力を奪い、教会の首長としての国王の権力を強めたが、国教会の教義内容はカトリックと大差がないままであった。したがって、よりいっそうの改革を望む人々(やがてピューリタンと呼ばれるようになる)、カトリックの復活を望む人々と国教会との間で、以後名誉革命まで長期にわたる確執がくりかえされた。
中央集権化を急速に推し進め、宗教改革を断行して近代国家の基礎をきずいた。個人的には、最初の妻のキャサリンを離婚したばかりか、次妃アン・ブーリンを処刑するなど、激しい性格でもあった。
イギリス宗教改革はまた、対外的にはカトリックの牙城であり、ローマ教皇庁の強力な後ろ盾となっていたスペインとの対立を意味した。イギリスとスペインの関係は、のちにイギリスをカトリックに復帰させ、フェリペ2世(スペイン王)と結婚したメアリー1世(イングランド女王)のごく短い治世をのぞいて改善はされなかった。
経済的には、ヘンリー8世の時代のイギリスは、アントウェルペンむけの毛織物輸出が急速に成長し、毛織物工業が発展した。このため、原料の羊毛生産を目指した「囲い込み」(エンクロージャー)がさかんになったが、このことは折からのインフレーションと重なって、農民に不安を与え、社会を動揺させた。
囲い込み
「囲い込み」とは、境界のはっきりしない「解放耕地」の形態をとっていた耕地や共有地を統合し、垣根などで囲って個人の所有地とすることである。16世紀(第1次)のそれは、羊毛生産のため、耕地を牧場に転換し、18世紀前後の「第2次囲い込み」は、食糧の増産を目的とした。しかし、どちらの場合も、放牧などに使う共有地がなくなり、農民はこれまでどおりの生活は続けられなくなった。ヘンリー8世時代の著名な聖職者トマス・モアが、その著書『ユートピア』のなかで、これを「羊が人間を食う」ものだとして批判したのはよく知られている。ただし、16世紀の場合は、囲い込みの影響をうけた農民はごく一部にすぎないし、18世紀のそれでは、囲い込みのあとでは農業労働者の数そのものは増加しているケースもある。
略年表
ヨーロッパ主権国家体制の展開
1562 | ユグノー戦争(〜98) |
1571 | レパントの海戦 |
1572 | サン・バルテルミの虐殺 |
1580 | スペイン、ポルトガルを併合 |
1581 | オランダ独立宣言 |
1588 | イギリス、スペイン無敵艦隊を撃破(アルマダの海戦) |
1589 | フランス、アンリ4世(フランス王)即位(〜1610)ブルボン朝 |
1598 | フランス、ナントの王令、ユグノー戦争終結 |
1603 | イギリス、シュチュアート朝(〜1714) |
1607 | イギリス、ヴァージニア植民地設立 |
1613 | ロシア、ロマノフ朝成立(〜1917) |
1618 | ドイツ三十年戦争(〜48) |
1620 | メイフラワー号、プリマス着 |
1628 | イギリス、権利の請願 |
1640 | イギリス、ピューリタン革命開始(〜49) |
1643 | フランス、ルイ14世即位(〜1715) |
1648 | ウェストファリア条約 |
1649 | イギリス、チャールズ1世処刑、共和制となる(〜60) |
1651 | イギリス、航海法 |
1652 | イギリス・オランダ戦争(〜74) |
1653 | イギリス、クロムウェル、護国卿となる |
1660 | イギリス、王政復古 |
1682 | ロシア、ピョートル1世即位(〜1725) |
1688 | イギリス、名誉革命 |