バラ戦争とイギリスの集権化 イギリスでは百年戦争終結後まもなく、王位継承をめぐって国内貴族を2分するランカスター家派とヨーク家派の内乱、「バラ戦争」が散発的ながらも30年にわたりくりひろげられ、ランカスター家とヨーク家の和解によるテューダー朝が成立した。イギリスはテューダー朝の成立とともに中世史に終わりを告げ、絶対王政の時代に移行していった。
バラ戦争とイギリスの集権化

イギリスでは百年戦争終結後まもなく、王位継承をめぐって国内貴族を2分する内乱、バラ戦争(1455〜1485)がおこった。
1455年、エドワード3世(イングランド王)の曾孫ヨーク公リチャード(のちのリチャード3世(イングランド王))は、ランカスター家に対してヨーク家の王位継承権を主張して決起した。百年戦争のために大量の家臣団を抱えて不満を持つ有力貴族は、それぞれランカスター家ないしヨーク家について、散発的ながらも30年にわたり戦いをくりひろげた。戦況はヨーク家の優勢に展開し、リチャードの戦死後その子エドワード4世(イングランド王)によりヨーク朝が開かれた(1461)。
テューダー朝は、両派の和解の象徴として赤と白のバラを紋章に採用したといわれる。バラ戦争という呼称は後世につけられたものだが、それはここに由来すると考えられる。
ヘンリー7世(イングランド王)は、封建貴族の勢力を打破するために家臣団を解散、貨幣と度量衡を統一して商品流通の円滑化をはかったほか、国王直属の特別裁判所として星室庁を設置するなど、集権化を推し進めた。こうして、イギリスはテューダー朝の成立とともに中世史に終わりを告げ、絶対王政の時代に移行していった。
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