ジェームズ1世(イングランド王)( A.D.1566〜A.D.1625)
ステュアート朝初代イングランド王(位1603年7月24日 - 1625年3月27日)。およびスコットランド王(位1567年7月24日 – 1625年3月27日)。1歳でスコットランド王に就く。37歳のとき、エリザベス1世(イングランド女王)死去によりテューダー朝が断絶したため招聘され、ステュアート朝を開いた。ピューリタンを圧迫した結果、北米移住につながった。王権神授説を信奉し、議会との対立が続いた。
ジェームズ1世(イングランド王)
ピューリタンを圧迫
スコットランド王・イギリス王。1歳でスコットランド王に就く。37歳のとき、エリザベス1世(イングランド女王)死去によりテューダー朝が断絶したため招聘され、ステュアート朝を開いた。ピューリタンを圧迫した結果、北米移住につながった。王権神授説を信奉し、議会との対立が続いた。ジェームズ1世の命によりつくられた、聖書英訳『欽定訳聖書』は英文学史上重要とされる。
王権神授説の信奉者
メアリー(スコットランド女王)の子にしてスコットランド王であったが、エリザベス1世(イングランド女王)の死とともにイングランド王に迎えられた。王権神授説の観点から、英国国教会を絶対王政の支柱とする政策をとり、ピューリタンを排除するとともにカトリックをも取り締まった。
ヨーロッパ主権国家体制の展開
イギリス立憲政治の発達
ピューリタン(清教徒)革命
イギリスでエリザベス1世(イングランド女王)が未婚のまま没すると、テューダー朝の血統が絶えた。このため1603年、スコットランド王ジェームズ6世がジェームズ1世(イングランド王)(位1603〜1625)として迎えられ、ここにステュアート朝が開かれた。これ以後、1707年に正式に合同するまで、両国は「同君連合」のかたちをとる。彼は長年のスペインとの対立を解消し、平和主義者とみられたが、外国人の国王でもあり、その支持基盤はきわめてもろかった。王権神授説を唱え、専制政治に走ったのも、むしろその弱さの表れとみられている。
エリザベス時代以来、国内はジェントルマン階層とともに、ヨーマンと呼ばれた比較的豊かな農民や商工業者が力をもつようになり、彼らを中心にピューリタニズムの信仰が広まった。彼らが、とくに議会に結集する傾向を示すと、ジェームズ1世はいっそう強圧的な政治で対抗したため、両者の対立が激化した。
子女
ジェームズ1世と王妃アンには計7人の子があったが、無事成長したのは3人である。
- 長男ヘンリー・フレデリック・ステュアート王太子
将来を嘱望されていたが、18歳で死去 - 次男チャールズ
王位を継承し、チャールズ1世(イングランド王)となる。 - 長女エリザベス・ステュアート
1613年にフリードリヒ5世(プファルツ選帝侯)と結婚。陽気で美しく慈悲の心を持っていた彼女は、イングランドでも非常に人気が高かった。嫁ぎ先のプファルツでも領民たちから「慈愛の王妃」と呼ばれ慕われるほどであった。しかし、ボヘミア・ファルツ戦争(ベーメン・プファルツ戦争)で夫が皇帝フェルディナント2世に敗れると、全てを失ってオランダへの亡命を余儀なくされた。のち、1661年にイングランドへ帰り、翌1662年ロンドンで死去した。夫との間には13人の子を儲けたが、三男ループレヒト(ルパート)はイングランドでカンバーランド公に叙され、イングランド内戦や英蘭戦争で国王軍司令官として活躍し、北アメリカ(のちのカナダ)の植民地ルパート・ランドの経営にも携わった。また、五女ゾフィーはエルンスト・アウグスト(ハノーファー選帝侯)に嫁いだ。その長男がジョージ1世(イングランド王)(ハノーヴァー朝の祖)である。
家系図
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①ジェームズ1世(イングランド王) |
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アン・オブ・デンマーク | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランス |
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②チャールズ1世(イングランド王) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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③チャールズ2世(イングランド王) |
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メアリー・ヘンリエッタ・ステュアート |
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オラニエ公ウィレム2世 (オランダ総督) |
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④ジェームズ2世(イングランド王) |
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アン・ハイド |
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ヘンリエッタ・アン |
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オルレアン公フィリップ1世 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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⑤ウィリアム3世(イングランド王) |
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⑤メアリー2世(イングランド女王) |
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ジェームズ(老僭王) |
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⑥アン(イギリス女王) |
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ジョージ(カンバーランド公) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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チャールズ(若僭王) |
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ヘンリー・ベネディクト・ステュアート |
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夭逝 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||