クリストファー・コロンブス
クリストファー・コロンブス ©Public Domain

クリストファー・コロンブス( A.D.1451〜A.D.1506)

ジェノヴァ人でポルトガルの船乗りだったが、トスカネリの地球球体説と西回り航路による東洋到達の可能性を信じ、大西洋横断の航海計画を立案、スペイン女王のイサベル1世の援助を取り付け、1492年、大西洋を横切りサンサルバドル島に到達、アメリカを発見した。コロンブスはここをインドだと信じたため、先住民はインディオと呼ばれた。

クリストファー・コロンブス

西進してインドを目指し新大陸を発見

クリストファー・コロンブスの航海は、1492年、スペインのパロス港からはじまった。船3隻乗組員120人一行は、72日間の遠洋航海の末、現在のバハマ諸島サンサルバドル島に到着した。陸地がみえず、時として荒れ狂う大海での長い航海におびえ、不安を募らせる船員たち。そんな彼らに対して、コロングスは「いまにきっと、たくさんの宝が手に入るぞ」と叱咤激励して成功へ導いた。

コロンブスは10代の頃から、ジェノヴァ商人に雇われて船乗りとなった。その後、10年以上もポルトガル船で働き、北はアイスランドから南は西アフリカまで、縦横無尽に海を渡り歩いた。航海術を学び、地球は球形であり、大西洋を西進したほうが資源の宝庫であるインドへの近道だと信じ、西回りの遠洋航海を目指した。しかし、それには莫大な資金が必要だ。パトロン探しに奔走し、ポルトガル王には拒絶されたものの、スペインのイサベル1世(カスティーリャ女王)の援助をえてようやく実現にこぎつけたのだった。大西洋を横断してバハマ諸島に到着後、カリブ海の島々にも到達。だがコロンブスがこれらの地をインドだと信じたため、アメリカ先住民は「インディオ」と呼ばれるようになった。

植民地政策の失敗で転落した晩年

ところで、彼の成功に対する嫉妬は大きかった。祝賀会の席上、嘲笑する人々に対して、「卓上にある卵を立ててみたまえ」とコロンブスは挑発した。人々ができないでいると、彼は卵の底を軽くテーブルにぶつけていとも簡単に立たせたという逸話がある。単純なことでも、その方法をはじめに思いつかなければ意味がないことのたとえとして、今に語り継がれている。

イサベル女王はコロンブスの回帰を喜び、半年後には17隻もの大部隊が編成され、第2回航海がスタートした。彼は4回の遠洋航海を行なったが、新大陸では金銀や香料などの資源を手に入れることができず、天然痘の流行とインディオ虐殺で植民地政策は失敗。フェルナンド2世(ポルトガル王)の不興を買って、不遇の最後を送った。だが彼の尽力でヨーロッパとアメリカを結ぶ新航路が生まれ、新大陸にヨーロッパ人が足を踏み入れる第一歩が切り開かれた。彼の存在なくして大航海時代の幕開けは、語れない。

サンタ・マリア号:第1回航海での旗艦サンタ・マリア号は、配置沖で座礁しスペインには帰還できなかった。だが1963年に復元され、バルセロナの港に繋留されている。
航海のパトロン:イサベル女王のほか、大貴族やジェノヴァの砂糖商人たちがコロンブスに出資した。彼らは新大陸に眠る豊富な資源を目当てに、先行投資したのだ。
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未知の航路を西進しサンサルバドルに到達

イタリアのジェノヴァ生まれのコロンブスは、トスカネリの唱える「地球球体説」に影響を受けた。10年あまりポルトガル船の船乗りとして働いていたが、西への航海はインドへの近道と信じ、日本ジパングで財宝を得る夢はふくらむばかりだった。コロンブスはポルトガル王に支援を願うが、すでにインド航路を発見済みのポルトガルは援助を拒んだ。支援を承諾したのは、スペイン女王のイサベル1世(カスティーリャ女王)であった。

コロンブスは、帆船サンタ・マリア号を旗艦とする3隻を仕立てて出航。荒波に怯え、西は地の果てと信じて恐れおののく乗組員を叱咤激励しったげきれいしたという。そして72日間の航海の末、サンサルバドル(聖なる救済者の意味)島に到達した。コロンブスはここをインドだと信じたため、先住民はインディオと呼ばれた。帰国したコロンブスは、さらに西への航海を繰り返したが、結局最後まで、金銀と香料は手に入らなかった。しかし、新大陸への道筋の開拓は、のちの歴史に多大な影響を及ぼした。

コロンブスの卵

コロンブスの新大陸発見は誰にでもできることだと蔑笑した人々に、コロンブスは卵を立てられるかと問うた。皆ができないのを見るや、コロンブスは卵の底を割り、立ててみせた。「最初にやったことに意味と価値がある」と比喩で主張した逸話である。

西進に怯える乗員たちに、「もうすぐ宝が手に入るぞ」と励まし続けたコロンブスが、ついに「あと3日たって陸地が見えなかったら帰ろう」と言った数日後、サンサルバドル島が見つかったという。
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近代ヨーロッパの成立

ヨーロッパ世界の拡大

新大陸の発見

1492年はコロンブス(1451〜1506)が大西洋を横切りインド諸島に到達、すなわちアメリカを「発見」した年である。カスティリャとアラゴンの結合により成立したスペインは、この年の1月、半島におけるイスラーム勢力最後の拠点グラダナを陥落させ、半島におけるレコンキスタ運動を完了させていた。これにひきついでイサベル1世(カスティーリャ女王)(位1474〜1504)は、コロンブスに支援を与えたのである。スペインの海外進出は、十字軍 スペインとポルトガル)的情熱で領土拡張をめざしたレコンキスタ運動が海外へと連続して拡大したものという見方もできる。

ジェノヴァ人の船乗りコロンブスは、トスカネリの地球球体説と西回り航路による東洋到達の可能性を信じ、大西洋横断の航海計画を立案し、ポルトガル、イギリスの王室にも後援を依頼していたが、こうした背景のなかでイサベルのスペイン宮廷の援助を取り付けることに成功したのである。

大航海時代地図
大航海時代地図 ©世界の歴史まっぷ

1492年8月、スペインのパロス港からサンタ・マリア号を旗艦とするコロンブスの3隻の船体が出港、カナリア諸島をへて、大西洋を西に進んだ。コロンブスの地図にはアメリカ大陸は存在せず、大西洋を横断すれば、インドや中国・日本に到達するはずであった。10月12日ついに陸地が発見された。これはサンサルバドル島、すなわち現在のバハマ諸島中のワトリング島とされるが、コロンブスはアジアの島のひとつと考え、キューバなど周辺の島々を探検した。コロンブスの「発見」はスペインのみならず全ヨーロッパを駆けめぐった。彼はその後1492年から1504年にわたり4度の航海で西インド諸島・パナマ沿岸を探検、南アメリカの陸地にも足を踏み入れている。コロンブスはあくまでこれらをインドの一部と考えていた。

コロンブスの「発見」にともない、1493年スペインはアレクサンデル6世(ローマ教皇)(位1492〜1503)に要請して、ヴェルデ岬西方560㎞の子午線の西側で発見される土地は全てスペイン領とするという教書をえた。しかしポルトガルがこれに抗議したので、両国は1494年トルデシリャス条約を結んで子午線をさらに150㎞西に移動し、その東側の発見地をポルトガル領とすることにした。両国による独占的な世界分割が勝手に取り決められたのである。

コロンブスの数回の航海と前後して、多くの探検者が大西洋を横断した。ヘンリー7世(イングランド王)の後援をうけたイタリア人カボット父子(父ジョヴァンニ・カボット1451頃〜1498頃、子セバスチャン・カボット1476〜1557)の北米沿岸探検(1497〜1498)、ビセンテ・ピンソン(1460頃〜1524)のアマゾン川発見(1499〜1500)、ペドロ・アルヴァレス・カブラルのブラジル到達などである。

コロンブスが「発見」した土地が「新大陸」であることは、しだいに明らかになった。バスコ・ヌーニェス・デ・バルボア(1475頃〜1517)は、1513年パナマ地峡を横断し、「南の海」すなわち太平洋を望見した。また、ポルトガルにやとわれブラジル海岸を探査したアメリゴ・ヴェスプッチ(1454〜1512)がその旅行記により、新大陸の発見者とみなされ、ある地理学者がその名にちなんで、その大陸に「アメリカ」の名称を冠し、それが現在まで用いられるようになった。

近代ヨーロッパの成立年表

 イタリア・ルネサンス(14〜16世紀)
1450頃ヨハネス・グーテンベルク、活版印刷技術発明
1488バルトロメウ・ディアス、喜望峰到達
1492スペイン、グラナダを占領(レコンキスタ完了)
 クリフトファー・コロンブス、アメリカに到達
1494トルデシリャス条約(スペイン・ポルトガル)
1495レオナルド・ダ・ヴィンチ最後の晩餐」制作(〜1498頃)
1498ヴァスコ・ダ・ガマ、カリカットに到達
1517マルティン・ルター、九十五カ条の論題発表
1519フェルディナンド・マゼランの部下、世界周航(〜1521)
1521エルナン・コルテスアステカ帝国征服
 イタリア戦争(第三次イタリア戦争 〜1526)
1524ドイツ農民戦争
1529オスマン軍の第一次ウィーン包囲
1533フランシスコ・ピサロ、ペルーのインカ帝国征服
1534国王至上法発布(イギリス国教会成立)
 イエズス会設立
1541ジャン・カルヴァン、ジュネーヴ市政掌握
1543ニコラウス・コペルニクス『天球回転論(地動説)』刊
1545トリエント公会議(〜1563)
 16世紀後半、価格革命おこる
1555アウクスブルクの和議(ルター派の信仰認められる)
1558エリザベス1世の即位(〜1603)
1559カトー・カンブレジ条約(イタリア戦争終結)

新大陸の発見 – 世界の歴史まっぷ

詳説世界史研究

同時代の人物

村田珠光(1423〜1502)

室町後期の茶人で侘び茶の開祖。若い頃から茶を好み、30歳頃、大徳寺真珠庵に入り、一休宗純について禅を学ぶ。茶禅一味の境地を会得。足利義政に仕える。

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