バルトロメウ・ディアス
バルトロメウ・ディアス Wikipedia

バルトロメウ・ディアス (1450頃〜1500)

ポルトガルの航海者。1488年、ジョアン2世(ポルトガル王)の命でアフリカ周航を指揮。暴風で流され、アフリカの南端の岬を発見。のちにジョアン2世により「喜望峰きぼうほう」と名づけられ、アフリカを迂回する東インドへの航路発見の可能性がさらに高まった。

バルトロメウ・ディアス

喜望峰を発見しアジア航路を開く

ポルトガルの渡航者。ジョアン2世(ポルトガル王)の命でアフリカ周航を指揮。暴風で流され、アフリカの南端の岬を発見。「嵐の岬」と名づけたが、のちにジョアン2世が「喜望峰きぼうほう」と変更した。マダガスカル島付近で遭難死した。

参考

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ヨーロッパ世界の形成と発展

西ヨーロッパ中世世界の変容

スペインとポルトガル

アヴィス朝(1385〜1580)の時代に絶対王政化が進められ、積極的な海外進出が行われた。初代国王ジョアン1世(ポルトガル王)(位1385〜1433)の子エンリケ航海王子(1394〜1460)は、1415年モロッコの商業都市セウタ攻略を皮切りに、カナリアス・マデイラ・アゾレスなどの大西洋諸島と、ブランコ岬・ヴェルデ岬などの西アフリカ沿岸の探検・航海を推進した。
それは、国内の貴族勢力を弾圧して絶対王政の確立に努めたジョアン2世(ポルトガル王)により継承された。王はスーダンの金取引に成功すると、さらにアフリカ南下政策を推進し、インド航路開拓の計画を具体化した。その結果、1488年バルトロメウ・ディアスはアフリカ南端の喜望峰に到達、ポルトガル海洋帝国への道が大きく開かれた。

スペインとポルトガル – 世界の歴史まっぷ

近代ヨーロッパの成立

ヨーロッパ世界の拡大

大航海時代地図
大航海時代地図 ©世界の歴史まっぷ
ポルトガルの東インド航路の発見

1488年バルトロメウ・ディアス(1450頃〜1500)の船隊はアフリカの南端の南に達し、嵐の岬を発見した。これはのちにジョアン2世(ポルトガル王)(位1481〜1495)により「喜望峰きぼうほう」と名づけられ、アフリカを迂回する東インドへの航路発見の可能性がさらに高まった。

ポルトガルの東インド航路の発見 – 世界の歴史まっぷ

近代ヨーロッパの成立年表

 イタリア・ルネサンス(14〜16世紀)
1450頃ヨハネス・グーテンベルク、活版印刷技術発明
1488バルトロメウ・ディアス、喜望峰到達
1492スペイン、グラナダを占領(レコンキスタ完了)
 クリフトファー・コロンブス、アメリカに到達
1494トルデシリャス条約(スペイン・ポルトガル)
1495レオナルド・ダ・ヴィンチ最後の晩餐」制作(〜1498頃)
1498ヴァスコ・ダ・ガマ、カリカットに到達
1517マルティン・ルター、九十五カ条の論題発表
1519フェルディナンド・マゼランの部下、世界周航(〜1521)
1521エルナン・コルテス、アステカ帝国征服
 イタリア戦争(第三次イタリア戦争 〜1526)
1524ドイツ農民戦争
1529オスマン軍の第一次ウィーン包囲
1533フランシスコ・ピサロ、ペルーのインカ帝国征服
1534国王至上法発布(イギリス国教会成立)
 イエズス会設立
1541ジャン・カルヴァン、ジュネーヴ市政掌握
1543ニコラウス・コペルニクス『天球回転論(地動説)』刊
1545トリエント公会議(〜1563)
 16世紀後半、価格革命おこる
1555アウクスブルクの和議(ルター派の信仰認められる)
1558エリザベス1世の即位(〜1603)
1559カトー・カンブレジ条約(イタリア戦争終結)

参考

詳説世界史研究