ペルシア語
インド=ヨーロッパ語族に属するペルシア人(イラン人)の言語。ただしアケメネス朝時代には、エラム語・バビロニア語・アラム語などが公用語で、楔形文字がもちいられていた。
ペルシア語
インド=ヨーロッパ語族に属するペルシア人(イラン人)の言語。ただしアケメネス朝時代には、エラム語・バビロニア語・アラム語などが公用語で、楔形文字がもちいられていた。
オリエントと地中海世界
古代オリエント世界
アケメネス朝
「イラン」がイラン高原の初期の住民の自称「アーリア」に由来しペルシア語であるのに対し、「ペルシア」はヨーロッパ側からの呼称である。
ペルシア人は、シュメール以来のメソポタミア文明の伝統をうけつぐ一方で、領内の諸民族の文化を統合して、より高い世界文明を築こうとした。ペルシア語を表記するためには、楔形文字を表音化して用いるペルシア文字を工夫した。
パルティアとササン朝の文化
ギリシア語が公用語とされ、貨幣の銘文にもギリシア文字が用いられた。しかし征服者であり支配者である遊牧パルティア人と先住農耕民との融合が進むに連れて、文化にもしだいにイラン的要素が強くなり王朝後期にはパフレヴィー語(中世ペルシア語)がアラム文字で表現されて公用語化した。
内陸アジア世界の変遷
トルコ化とイスラーム化の進展
中央アジアのトルコ化
東西に伸びる中央アジアのオアシス地帯がペルシア語で「トルコ人の地」を意味するトルキスタンと呼ばれるようになるのは、こうした事情による。
イスラーム世界の形成と発展
イスラーム文明の発展
産業と経済の発展
現在ヨーロッパ諸国で小切手を表すチェックは、ペルシア語のチェックに由来する。
学問の発達
外来の学問
イスラーム教徒の外来の学問は、9世紀初めにギリシア語文献がアラビア語に翻訳されはじめてから飛躍的に発達した。イラン南西部にあるジュンディシャープールの学院では、イスラーム以前からギリシアやインドの学術が、シリア語やパフラヴィー語(中世ペルシア語)によって研究されていた。この町を征服したアラブ人は、この学院での成果を受け継ぎ、ヘレニズム化したギリシア学術の継承者となることができた。さらにアッバース朝のカリフ・マアムーン(813〜833)は、バグダードに「知恵の館」を建設し、ここに学者たちを集めて、ギリシア語やペルシア語からアラビア語への翻訳を組織的に推し進めたのである。
アジア諸地域の繁栄
南アジア・東南アジア世界の展開
ムガル時代の社会と文化
文学の分野では、北インドの口語にムガル帝国の公用語であるペルシア語の要素をたぶんに加えたウルドゥー語が生まれ、その文学がおこった。この言語はアラビア文字を用いて書かれ、今日パキスタンの国語となっている。