平城太上天皇の変 孝徳天皇
家紋(下り藤) Wikipedia

平城太上天皇の変


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平城太上天皇の変 (薬子の変) 810(大同5)年
平安時代初期の政変。809(大同4)年、平城天皇は皇太弟神野親王(嵯峨天皇)に譲位したが、前帝の寵により権勢を得ていた藤原薬子ふじわらのくすこと兄藤原仲成ふじわらのなかなりらは,平城京への遷都,平城上皇の重祚じゅうそを策して旧都に移り,翌年観察使を廃するなど政治に関与した。これに対し嵯峨天皇方は、蔵人所を設置して機密の漏洩を防ぐとともに、上皇の平城遷都の命を機に、三関を固め、薬子を解官し、仲成を射殺した。これにより上皇は剃髪し、薬子は自殺した。こののち、藤原氏のうち式家は没落し、北家の藤原冬嗣の系統が朝廷で勢力を確立していった。

参考 ブリタニカ国際大百科事典

平城太上天皇の変

律令国家の形成

平安朝廷の形成

平安初期の政治改革

蔵人頭は、810(弘仁元)年の平生太后天皇の変(薬子の変くすこのへん)の際、嵯峨天皇が太上天皇側に秘密が漏れることなく天皇の命令を太政官組織に伝えるために側近の藤原冬嗣ふじわらのふゆつぐ巨勢野足こせののたりらを任じたのが始まりで、その役所が蔵人所くろうどどころである。

平城太上天皇の変(薬子の変)

809(大同9)年、平城天皇は弟の嵯峨天皇に譲位したが、太上天皇としての権威と権力は保持しており、嵯峨天皇が病になると、翌年、寵愛する藤原薬子ふじわらのくすこ(藤原種継の娘)やその兄藤原仲成ふじわらのなかなりとともに再び権力を握ろうとして、もとの平城京への遷都をはかった。
平安京の天皇と平城京の太上天皇の間で「二所朝廷にしょちょうてい」と呼ばれる政治的混乱となったが、迅速な対応をとった嵯峨天皇側の勝利となり、仲成は射殺され、東国に向かうことに失敗した太上天皇は出家し、薬子は毒を飲んだ。「薬子の変」と呼ばれるのは嵯峨天皇が罪を太上天皇に及ぼさないようにしたためで、実は平城太上天皇が深く関わっていた。この変を契機に、天皇の意思を太政官組織に迅速に伝えるための蔵人頭が設けられるなど、政治の仕組みにも影響を与えた。蔵人頭

経過

二所朝廷の対立が深まる中で、大同4(810)年9月6日に平城上皇は平安京を廃して平城京へ遷都する詔勅を出した。このことは嵯峨天皇にとって思いがけない出来事であったが、ひとまず詔勅に従うとして、坂上田村麻呂・藤原冬嗣・紀田上らを造宮使に任命する。嵯峨天皇が信任している者を造宮使として平城京に送り込み、平城上皇側を牽制することが目的と考えられる。また、遷都の詔勅が発せられたことに人心は大いに動揺したという。
嵯峨天皇は遷都を拒否することを決断する。9月10日、嵯峨天皇は使節を発して伊勢国・近江国・美濃国の国府と関を固めさせる。その上で、藤原仲成を捕らえて右兵衛府に監禁の上で佐渡権守に左遷し、薬子の官位を剥奪して罪を鳴らす詔を発した。嵯峨天皇は造宮使だった坂上田村麻呂を大納言に昇任させる。藤原冬嗣は式部大輔、紀田上は尾張守に任じられた。
9月11日、嵯峨天皇は密使を平城京に送り若干の大官を召致した。この日、藤原真夏や文室綿麻呂らが帰京するが、平城上皇派と見られた綿麻呂は左衛士府に禁錮された。
嵯峨天皇の動きを知った平城上皇は激怒し、自ら東国に赴き挙兵することを決断をする。中納言・藤原葛野麻呂ら平城上皇方の群臣は極力これを諌めたが、上皇は薬子とともに輿にのって東に向かった。
平城上皇の動きを知った嵯峨天皇は坂上田村麻呂に上皇の東向阻止を命じる。田村麻呂は出発に当たってかつて蝦夷征討の戦友だった綿麻呂の禁錮を解くことを願い、綿麻呂は許されて参議に任じられる。この日の夜に仲成は射殺された。これは平安時代の政権が律令に基づいて死刑として処罰した数少ない事例であり、これ以降保元元(1156)年の保元の乱で源為義が死刑執行されるまで約346年間一件も無かった。
平城上皇と薬子の一行は大和国添上郡田村まで来たところで、嵯峨天皇側の兵士が守りを固めていることを知り、とても勝機がないと悟ってやむなく平城京へ戻った。9月12日、平城上皇は平城京に戻って剃髮して出家し、薬子は毒を仰いで自殺した。

処置

変後、嵯峨天皇は関係者に寛大な処置をとることを詔した。高岳親王は皇太子を廃され、代わって天皇の弟・大伴親王(後の淳和天皇)が立てられた。なお、弘仁15(824)年の平城上皇の崩御の際に、既に退位していた嵯峨上皇の要望によって、淳和天皇の名で関係者の赦免が行われている。
なお、僧・空海は嵯峨天皇側の勝利を祈念し、以降、日本仏教界一の実力者になる契機となった。

変で処罰された人物

家系氏名官位など処罰内容
皇族平城上皇太上天皇出家
皇族高岳親王皇太子廃太子
皇族阿保親王四品大宰員外帥へ左遷
皇族礒野王従五位上・図書頭伊豆権守へ左遷
皇族田口王従五位下土佐権守へ左遷
皇族真菅王従五位下壱岐権守へ左遷
藤原式家藤原薬子正三位・尚侍尚侍を解任、のち自殺
藤原式家藤原仲成従四位下・参議佐渡権守へ左遷、のち射殺
藤原式家藤原安継従五位下・大舎人助薩摩権守へ左遷
藤原式家藤原貞本従五位下・大蔵大輔飛騨権守へ左遷
藤原式家藤原永主日向国へ流罪
藤原式家藤原山主日向国へ流罪
藤原式家藤原藤主日向国へ流罪
藤原北家藤原真夏正四位下・参議伊豆権守次いで備中権守へ左遷
紀氏紀田上従四位下・尾張守佐渡権守へ左遷
紀氏紀良門従五位下・越後守肥前権介へ左遷
その他多入鹿従四位下・参議讃岐権守へ左遷、のち安芸守、讃岐権守に転任
その他菅野庭主正五位上・木工頭安房権守へ左遷
その他大中臣常麻呂従五位上・兵部少輔備前権守へ左遷、のち伊予守に転任
その他大伴和武多麻呂従五位上・左近衛少将武蔵権介へ左遷、のち日向権守に左遷
その他御室是嗣従五位上大隅権守へ左遷、のち筑後権介に左遷
その他御室氏継従五位上薩摩権守へ左遷
その他安倍清継従五位下・越前介安芸権守へ左遷、のち伯耆国へ流罪
その他当麻鱸麻呂従五位下淡路権守へ左遷
その他百済王愛筌越前権少掾安房国へ流罪
その他永野浄津越前国へ流罪
その他伊勢安麻呂能登国へ流罪

参考 Wikiwand

*高岳親王はのち、出家し真如と名乗り、空海の弟子として修行した。弘法大師の十大弟子の1人となり、高野山に親王院を開いた。阿闍梨の位をうけ、また『胎蔵次第』を著した。承和2年(835年)に空海が入定すると、高弟の1人として遺骸の埋葬に立ち会っている。

平城太上天皇の変が登場する作品

空海

弘法大師空海入定1150年を記念して製作された1984年の映画。空海を北大路欣也、最澄を加藤剛、桓武天皇を丹波哲郎、嵯峨天皇を西郷輝彦が演じています。
空海(映画)登場人物とあらすじ – 世界の歴史まっぷ

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