雄略天皇
雄略天皇(雄略天皇画/1896)©Public Domain

雄略天皇


第20代 安康天皇

第22代 清寧天皇

雄略天皇 (允恭天皇7年12月 – 雄略天皇23年8月7日)(418〜479)

第21代天皇。中国の宋に遣使した「倭の五王」のひとり「武」と推定される天皇。『宋書』によると478年、宋の順帝に上表文を奉ったという。埼玉県の稲荷山古墳から出土した辛亥銘鉄剣の銘文にみえる「獲加多支鹵わかたける大王」が「記紀」にいう「ワカタケル」天皇すなわち雄略天皇ゆうりゃくてんのう、つまり倭王武にあたることはほぼ確実と考えられている。

雄略天皇

「倭の武王」と目される古代の天皇

二十一代天皇。中国の宋に遣使した「倭の五王」のひとり「武」と推定される天皇。『宋書』によると478年、宋の順帝に上表文を奉ったという。埼玉県の稲荷山古墳から出土した鉄剣に刻まれた王名は、雄略天皇のことであると考えられ、その存在が確実視されている。

参考 ビジュアル版 日本史1000人 上巻 -古代国家の誕生から秀吉の天下統一まで

日本文化のあけぼの

古墳とヤマト政権

東アジア諸国との交渉

倭国はまた、こうした朝鮮半島南部をめぐる外交・軍事上の立場を有利にするため、百済新羅などと同じように中国の南朝に使いを送り、朝貢している。
『宋書』の夷蛮伝倭国条には、5世紀初めから約1世紀の間に、讃、珍、済、興、武の5人の倭王(倭の五王)が相次いで宋に遣使したことが記されている。

『宋書』の倭国条に見られる倭の五王のうち、済とその子である興と武については、「記紀」(古事記と日本書紀との総称)にみられる允恭天皇いんぎょうてんのうとその子の安康天皇あんこうてんのう雄略天皇ゆうりゃくてんのうに当てることにほとんど異論はないが、讃については応神天皇おうじんてんのう仁徳天皇にんとくてんのう履中天皇りちゅうてんのうにあてる説があり、珍につても仁徳天皇・反正天皇はんぜいてんのうにあてる説が対立している。
なお埼玉県の稲荷山古墳から出土した辛亥銘鉄剣の銘文にみえる「獲加多支鹵わかたける大王」が「記紀」にいう「ワカタケル」天皇すなわち雄略天皇ゆうりゃくてんのう、つまり倭王武にあたることはほぼ確実と考えられる

参考 詳説日本史研究

中国との交渉年表

弥生・古墳時代 中国との交渉

中国日本  
西周前1046前11世紀〜水稲耕作・大陸系石器・支石墓の伝来
板付遺跡(福岡県)
早期
春秋時代前770前8世紀〜北九州で支石墓・甕棺墓が現れる弥生前期
吉野ヶ里遺跡のはじまり
戦国時代前403前4世紀〜縄文式土器の影響を受けた弥生式土器が現れる
秦朝前221■環濠集落の出現











前206
前漢前202
■丘陵の周囲に大きな環濠や墳丘墓を造成弥生中期
百余国に分立・漢に献見す(『漢書』地理志)
8
新朝23
後漢25
57倭の奴国の王・後漢に遣使。光武帝より「漢委奴国王」の印綬を賜る(『後漢書』東夷伝)弥生後期
107倭国王帥升等、生口160人を安帝に献上(『後漢書』東夷伝)
147倭国大乱(『後漢書』東夷伝)
189
220■高床倉庫・物見やぐらなどの建設
221
222
239邪馬台国女王卑弥呼,魏に遣使。「親魏倭王」の称号と金印紫綬と銅鏡百枚などを賜る。
(『魏志』倭人伝)
247卑弥呼死す
263
265

(西晋)
266倭の女王壱与,晋に遣使
280□前方後円墳の出現前期古墳時代
316
五胡十六国東晋317
372百済王, 七支刀を倭王に贈る
北魏386
391倭,百済・新羅を破る(高句麗 好太王碑の碑文)中期
413倭国,東晋に方物を献上(『晋書』)
420
宋(南朝)421讃,宋に遣使(421〜478『宋書』倭国伝)
438珍,宋に遣使。「安東将軍 倭国王」となる
439
443済,宋に遣使。「安東将軍 倭国王」となる
451済,「使持節都督 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東将軍 倭国王」となる
462興,「安東将軍 倭国王」となる
478武, 宋に遣使。「使持節都督 倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事 安東大将軍 倭王」となる
479479武,「鎮東大将軍」となる(『南斉書』倭国伝)後期
斉(南朝)502502武,「征夷大将軍」となる(『梁書』)
梁(南朝)512百済に伽椰西部の支配を認める
東魏534
西魏535
538百済聖王,欽明天皇に仏像と経典を献上(『上宮聖徳法王帝説』『元興寺縁起』『日本書紀』)
北斉550
北周556
陳(南朝)557
参考:新詳日本史―地図資料年表

ギャラリー

雄略天皇
月耕随筆 雄略天皇 葛城山狩図 山口県立萩美術館・浦上記念館蔵(部分)©Public Domain

同時代の人物

オドアケル (434頃〜493)

ゲルマン人の西ローマ帝国の傭兵隊長。ロムルス・アウグストゥルス(西ローマ皇帝)に叛旗を翻して廃位させ、西ローマ帝国を滅亡させた。ゼノン(東ローマ皇帝)へ西ローマ皇帝位を返上し、ローマ皇帝の代官としてイタリアを統治する法的権限を得た。東ローマ帝国への内政干渉を機に、493年、ゼノンに討伐を命じられたテオドリック(東ゴート王)に惨殺され、オドアケルの支配は17年で終わった。

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