イスラーム世界の形成と発展
イスラーム世界の形成と発展
イスラーム帝国の成立
預言者ムハンマド
ササン朝と東ローマ帝国が長い間に渡って戦争を続けたために、シルクロードは両国の国境で途絶え、戦争によって東ローマ帝国の国力が衰えると、その支配下にあった紅海貿易も次第に衰退した。
このためシルクロードや海の道によって運ばれた中国やインド産の商品(絹織物、陶磁器、香辛料など)は、いずれもアラビア半島西部を経由してシリア方面にもたらされるようになった。
ジャーヒリーヤ時代(イスラム以前の無明時代)のメッカは、毎年多くの巡礼者を集めて賑わっていたが、この町の商人は新しくおこった 中継貿易を独占して莫大な利潤を上げていた。
アラブ人の征服活動
第2代正統カリフ ウマル・イブン・ハッターブの時代、イスラームによって統制されたアラブ軍は、カーディシーヤの戦い(636)、ニハーヴァンドの戦い(642)でササン朝の軍隊を破り、シリア方面でもヤルムークの戦い(636)で東ローマ帝国(ヘラクレイオス朝)軍に破滅的な打撃を与えた。
642年までには、シリアに続いてエジプトの征服も完了した。
ササン朝の滅亡とエジプト、シリアからの東ローマ帝国軍の撤退により、古代オリエント世界は崩壊し、かわって新しい理念によって統合されたイスラーム世界が誕生したのである。
イスラーム世界の発展
産業と経済の発展
西アジアを中心に広大な領域を支配したイスラーム国家は、東ローマ帝国の金貨とササン朝の銀貨を継承し、ディナール金貨とディルハム銀貨を正式な流通貨幣とする二本位制を定めた。
イスラーム文明の特徴
イスラーム帝国は、古代オリエント文明やヘレニズム文明など、古くから多くの先進文明が栄えた地域に建設された。そこに生まれたイスラーム文明は、征服者であるアラブ人がもたらしたイスラーム教とアラビア語を核とし、征服地の住民が祖先から受け継いだこれらの文化遺産を母体として形成された融合文明である。
たとえば、生活の基準となる貨幣制度は東ローマ帝国とササン朝から受け継ぎ、また初期の代表的な建築であるイェルサレムの「岩のドーム」は、シリアやイランの建築家、コンスタンティノープルのモザイク師などの多様な技術を集めて建設された。
アラブ文学の傑作とされる『千夜一夜物語(アラビアン・ナイト)』も、インド・イラン・アラビア・ギリシアなどを起源とする説話の集大成であり、諸文明の融合ぶりをよく示している。
『千夜一夜物語』
起源は、ササン朝時代にパフラヴィー語で書かれた『千物語』。これはインド説話の影響を強くうけ、ひとつの枠物語の中に多数の説話が挿入されていた。8世紀後半に、バグダードでアラビア語に翻訳され、イスラームに固有な物語が付け加えられた。『千夜一夜物語』と呼ばれるようになったのは、12世紀の頃である。バグダードの焼失(1258)後は、カイロでさらに多くの物語が加えられ、マムルーク朝の滅亡(1517)時ころまでに、ほぼ現在の形にまとめられた。多数の著書の手をへてつくられ、原作者は不明である。日本には、1875年に英訳からの重役によってはじめて紹介された。
イクター制の成立と展開
砂糖
砂糖キビを原料とする砂糖生産は北インドに始まり、ササン朝末期にはイランに導入され、アッバース朝時代にイラク南部からさらにエジプトのデルタ地帯に広まった。12世紀ころには、砂糖キビ栽培はエジプト全土に拡大し、砂糖はヨーロパむけの重要な輸出商品に数えられるようになった。その後、イスラーム世界の製糖技術は、北アフリカをへてアメリカ大陸つに伝えられ、植民地を経営するヨーロッパ諸国は、奴隷労働を用いて大規模な砂糖キビ栽培をおこなった。
- イクター制の成立と展開 – 世界の歴史まっぷ