サラーフッディーン
ヒッティーンの戦いの後のサラディン ©Public Domain
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サラーフッディーン A.D.1138〜A.D.1293
アイユーブ朝初代スルタン(在位1169〜1193)。シリアのザンギー朝からエジプトに派遣されたクルド人の将軍サラディンは、ファーティマ朝の宰相となって実権を握り、アイユーブ朝を開いた。アッバース朝カリフの宗主権を承認し、スンナ派の信仰を復活してイスラーム世界の統一をはかった。エジプトにイクター制を導入して軍政を整え、対十字軍戦争を積極的に推し進め、1187年にはティベリアス湖西方のヒッティーンの戦いで十字軍を破り、約90年ぶりに聖地イェルサレムを奪回した。

サラーフッディーン

エジプト、シリアを制しアイユーブ朝を開いた名将

クルド人の家系に生まれ、14歳にしてアレッポの君主ヌール・アッディーンから騎士として認められる。ヌール・アッディーンの命令のもと、叔父シールクーフと共に内乱で揺れるエジプトへ3度遠征を行い、これに介入しようとする十字軍を破り、解放者としてカイロに迎えられた。1169年には就任からわずか2ヶ月で急死した叔父の後を受けて、ファーティマ朝の宰相に就任する。その2年後には、イスマーイール派のファーティマ朝カリフを廃して、エジプトにスンナ派政権を復活させた。

旧主ヌール・アッディーンが死ぬとシリアを支配下に組み入れ、次いで対十字軍戦争を起こす。1187年7月のヒッティーンの戦いで大勝。以後、アッコン、ハイファー、ベイルート、アスカロンなど沿岸部の都市を次々と陥落させ、10月にはついにイェルサレムを占領した。その後の停戦協定において、イェルサレムを含むパレスチナの領有権を十字軍に認めさせた。

イスマーイール派シーア派の1分派。765年に第6代イマームが毒殺された際、父に先立ったとされる長子のイスマーイールが実は生きているとして、彼の第7代イマーム就任を支持した。

参考

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アイユーブ朝を創始し、十字軍を撃退

シーア派の力を借り、ウマイヤ朝を倒したアブー=アル=アッバース(サッファーフ)は、アッバース朝を創始するとシーア派弾圧に転じた。
締め出されたシーア派が、北アフリカに建国したのがファーティマ朝であった。
サラーフッディーン(サラディン)は山岳遊牧民クルド人の出身で、ザンギー朝に仕えていた軍人。その後、ファーティマ朝の宰相となった後、独立し、アイユーブ朝を開いた。
サラディンは、アッバース朝からスルタンの地位を授かると、北アフリカからイラクまで版図を広げた。
イェルサレム王国を破り、聖地イェルサレムを奪還。このためリチャード1世率いる第3回十字軍の逆襲を受けたが、迎撃に成功。イェルサレムを守り、和議を結んだ。
イスラーム諸国で英雄視されるとともに、キリスト教徒の巡礼を認めた寛容性から、西洋での名声も高かった。

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イスラーム世界の形成と発展

イスラム王朝 17.イスラーム世界の発展 イスラーム世界の形成と発展
イスラーム世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

イスラーム世界の発展

イクター制の成立と展開

セルジューク朝のイクター制は、サラディンによってエジプトに導入された。アイユーブ朝時代のイクター保有者は、ブワイフ朝やセルジューク朝の場合と同様に、一族や郎党を代理人として現地に派遣し、取り分の徴収を行なった。十字軍との戦闘に参加したのは、このようなイクター収入によって装備を整えたクルド人やトルコ人の騎士たちだったのである。

バグダードからカイロへ

シリアのザンギー朝(1127〜1222)からエジプトに派遣されたクルド人の将軍サラディン(サラーフッディーン)は、ファーティマ朝の宰相となって実権を握り、アイユーブ朝(1169〜1250)を開いた。

西方イスラーム世界 バグダードからカイロへ ホラズム・シャー朝 ゴール朝 ムワッヒド朝 アイユーブ朝 12世紀末のイスラーム世界地図
12世紀末のイスラーム世界地図 ©世界の歴史まっぷ

サラディンはアッバース朝カリフの宗主権を承認し、スンナ派の信仰を復活してイスラーム世界の統一をはかった。また、エジプトにイクター制を導入して軍政を整えたサラディンは、対十字軍戦争を積極的に推し進め、1187年にはティベリアス湖西方のヒッティーンの戦いで十字軍を破り、約90年ぶりに聖地イェルサレムを奪回した。
これに対しイギリスのリチャード1世(イングランド王)(1189〜1199)は、聖地の再征服をめざして第3回十字軍をおこしたが成功せず、サラディンと和して帰国した。

ヨーロッパ世界の形成と発展

西ヨーロッパ中世世界の変容
ヨーロッパ世界の形成と発展 ©世界の歴史まっぷ

西ヨーロッパ中世世界の変容

初期の十字軍
第2回十字軍

日ならずして、イスラーム側の反撃が開始された。まず、1146年エデッサ伯領が、つづいてアンティオキア候領の東半分が奪還された。ルイ7世(フランス王)ホーエンシュタウフェン朝初代コンラート3世(神聖ローマ皇帝)は、第2回十字軍(1147〜1149)を組織して内陸シリアの拠点ダマスクスを攻撃したが、あえなく失敗した。

初期の十字軍の成功は、イスラーム側の内紛に助けられたものであったが、このころイスラーム世界にサラディン(サラーフッディーン 1138〜1193)が登場すると、形勢は大きく逆転することになった。サラディンはアイユーブ朝(1169〜1250)を立てると、ファーティマ朝を滅ぼしてエジプトにスンナ派信仰を回復し、シリアをもあわせて反十字軍の統一勢力を結集した。その結果、エルサルム王国はサラディンにより1世紀たらずで奪回された。(1187)

第3回十字軍

これに対し、フリードリヒ1世(神聖ローマ皇帝)フィリップ2世(フランス王)リチャード1世(イングランド王)の三大国の君主からなる第3回十字軍(1189〜1192)が結成された。
だが、大軍を率いたフリードリヒ1世(神聖ローマ皇帝)は途中小アジアで不慮の事故死を遂げ、フィリップ2世(フランス王)はリチャード1世(イングランド王)と対立し、アッコンを奪還後帰国した。
リチャード1世(イングランド王)だけがその後もサラディンとわたりあったが、結局イェルサレムを奪回することはできなかった。なお、この第3回十字軍に際して、ドイツ騎士団が成立している。

カラット・サラーフ・アッディーン

サラーフッディーン
カラット・サラーフ・アッディーン ©Public Domain

シリアにあるサラディン城。十字軍時代の代表的な城で、1188年にサラディンが十字軍から奪った城であるため、この名で呼ばれる。2006年に世界遺産「クラック・デ・シュヴァリエとカルアト・サラーフ・アッディーン」に登録された。

サラーフッディーンが登場する作品

キングダム・オブ・ヘブン

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同時代の人物

栄西(1141〜1215)

平安末期から鎌倉初期にかけての僧侶。2度まで宋へ渡り、密教の研鑽を積むとともに禅への造詣を深める。日本に臨済宗と喫茶の風習を伝えたとされる。

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