シャルル7世(フランス王)(
A.D.1403〜A.D.1461)
フランスヴァロワ朝の第5代国王(在位1422〜1461)。フランス正統派を主張するアルマニャック派と結び、ロワール以南を根拠地に置いたが勢力は弱く、ジャンヌ・ダルクによってイングランド軍の包囲から解放され即位。だが恩人ジャンヌの人気を恐れて、彼女を見殺しにした。戦後は財務改革や官僚制の整備など内政に尽力。
シャルル7世(フランス王)
百年戦争でイギリスを破った「勝利王」
シャルルは、フランスとイギリスの百年戦争の末期、13歳で皇太子になった。しかし父王シャルル6世(フランス王)がイギリスのヘンリー5世(イングランド王)にフランス王位継承権を譲ったため、両王が相次いで没すると、継承者が宙に浮いた。フランスは無政府状態に陥り、シャルルはイギリス軍に包囲されたオルレアンの南、シノン城に身を潜めた。
そこへジャンヌ・ダルクが現れた。ジャンヌがイギリス軍の包囲を突破したことで戴冠式をあげることができ、シャルル7世(フランス王)として即位。その後、シャルル7世は着々と失地奪還に成功。カスティヨンの戦いでイギリス軍を破り、百年戦争に勝利した。
しかしその間、反国王派の捕虜となったジャンヌに対し、身代金を払うことを渋り、ジャンヌを刑死させることになった。
戦後は財政改革に務めたり、常備軍を組織し、官僚制を整備するなど、王権の確立に尽力したが、晩年になると精神を病み、毒殺の妄想を抱いて餓死したという。
ジャンヌの助力で百年戦争を終結に
ヴァロワ家シャルル6世の子。フランス正統派を主張するアルマニャック派と結び、ロワール以南を根拠地に置いたが勢力は弱く、ジャンヌ・ダルクによってイングランド軍の包囲から解放され、即位。だが恩人ジャンヌの人気を恐れて、彼女を見殺しにした。
ヨーロッパ世界の形成と発展
西ヨーロッパ中世世界の変容
後期百年戦争とフランスの集権化
1415年、ヘンリー5世(イングランド王)はフランスの内乱に乗じてノルマンディーに侵入し、ブルゴーニュ派と結びアザンクールでフランス王軍に大勝(1415 アジャンクールの戦い)、トロワ条約(1420)により自らのフランス王位継承権を認めさせることに成功した。その結果、1422年ヘンリー5世(イングランド王)とシャルル6世(フランス王)が相次いで没すると、ヘンリーの子ヘンリー6世(イングランド王)は、英仏両国の国王として即位した。
だがその支配地域は北部に限られ、東部はブルゴーニュ公、ロワール川南部はトロワ条約により王位継承権を否認されたヴァロワ家のシャルル7世がそれぞれ支配し、フランスは3分されることになった。1429年、イギリス軍は南下をはかり、ロワール川中流の要衝オルレアンを攻囲(オルレアン攻囲戦)、持久戦の様相を示していた。ここに登場した少女ジャンヌ・ダルクは、わずかの兵を率いてオルレアンの囲みを解き、いっきに北上してランスを陥れ、シャルル7世(フランス王)の戴冠式を実現させた。
ジャンヌはまもなく敵側に捕らえられ処刑されたが、シャルル7世はブルゴーニュ公とアラスの和約を結びイギリス軍を孤立させていった。
そして1437年には首都パリを、続いてノルマンディー・ギエンヌを回復し、1453年にはついにカレーを除く全国土からイギリス勢力を駆逐して、百年戦争は終結した。
フランスは、シャルル7世(フランス王)の時代に官僚制と常備軍の整備が進み、さらに大商人ジャック・クールら上層市民層と提携して聖俗諸侯を抑え、絶対王政への道を開いていった。次のルイ11世(フランス王)の代には、国家統一上最大の障害であったブルゴーニュ公領も併合され、中央集権がほぼ達成された。
百年戦争とバラ戦争に関する系図
全体の家系図はこちら 百年戦争前後のイングランドとフランスの君主一覧と系図 – 世界の歴史まっぷ
ジャンヌ・ダルクの裁判
イギリス軍の手にわたったジャンヌ・ダルクは、1431年ルーアンでの宗教裁判の結果、異端として火あぶりの刑に処せられた。その理由は、男装・男髪であること、天使や聖女を信仰すること、聖職者の仲介なく信仰すること、父母を見捨てシャルルに王国再建を約束したこと、などであった。1456年、ジャンヌの名誉回復裁判がシャルル7世(フランス王)の命によりおこなわれ、以後は彼女はしだいに神格化されていった。
参考 詳説世界史研究
子女
- ルイ11世(1423年 – 1483年) – フランス王
- ジャン(1424年 – 1425年)
- ラドゴンド(1428年 – 1444年) – 1430年、オーストリア大公ジークムント(オーストリア大公)と婚約
- カトリーヌ・ド・フランス(1428年 – 1446年) – 1440年、シャルル(ブルゴーニュ公)(突進公)と結婚
- ジャック(1432年 – 1437年)
- ヨランド・ド・フランス(1434年 – 1478年) – 1452年、サヴォイア公アメデーオ9世・ディ・サヴォイアと結婚
- ジャンヌ・ド・フランス(1435年 – 1482年) – 1452年、ジャン2世(ブルボン公)と結婚
- マルグリット(1437年 – 1438年)
- マリー(1438年 – 1439年)
- ジャンヌ(1438年 – 1446年)
- マドレーヌ・ド・フランス(ビアナ公妃)(1443年 – 1486年) – 1462年、ガストン・ド・フォア(ビアナ公)と結婚
- シャルル・ド・ヴァロワ(ベリー公)(1446年 – 1472年) – ベリー公