スキピオ・アフリカヌス (大スキピオ)( B.C.236〜B.C.183)
共和政ローマの武将、元老院議員。グラッスス兄弟の外祖父。第2次ポエニ戦争のザマの戦いで北アフリカのカルタゴの将軍ハンニバルを破り戦争を終結させ、多額の賠償金と西部地中海の覇権を手に入れた功績から「アフリカヌス」の称号を得る。
スキピオ・アフリカヌス
ハンニバルを倒しローマに勝利をもたらす
第2回ポエニ戦争で、敵将ハンニバルと戦い、苦戦するローマに勝利をもたらしたのが、若き将軍プブリウス・コルネリウス・スキピオ(大スキピオ)であった。
スペインの地からカルタゴ軍を駆逐すると、3万5千の兵を率いて敵の本拠地であるアフリカに上陸。紀元前202年、イタリアから呼び戻されたハンニバルと対峙し、ザマの会戦に挑む。1万5千人のカルタゴ軍は壊滅し、戦争は終結。この戦功から大スキピオは「アフリカヌス」の称号を得、ローマに華々しく凱旋したのだった。
ハンニバルを討った名将軍
古代ローマの将軍であり政治家。ハンニバルにカンネーの戦いで敗れたが、ヒスパニアに入ってカルタゴ本拠地を攻略。さらにアフリカに上陸し、急ぎ引き返したハンニバルを、ザマで返り討ちにした。これによりローマが多額の賠償金と西部地中海の覇権を手に入れた功績で「アフリカヌス」の尊称を得た。
スキピオは、大スキピオとよばれ、大スキピオの長男の養子を小スキピオとよぶ。小スキピオは第3回ポエニ戦争でカルタゴを陥落させたコンスル。大スキピオと同様「アフリカヌス」の尊称をえた。